エスメラルダ
「ご心配有難うございます。メルローア国王陛下。父は幸いな事に健康を保っております。まだ若いという事もあり、まだまだ国を支えてくれるかと」
 ハイダーシュは答えながらも忌々しくてならなかった。
 ロウバー三世が若い故にフランヴェルジュと対等の立場、即ち王となるにはまだまだ時が必要だ。最も、ハイダーシュは胸に暗い陰謀を隠してはいたが。
 レイリエ。
 全ては彼女の為に。
 そのレイリエはハイダーシュの隣で慎ましやかに顔を伏せていた。その彼女の薔薇色の頬を、柔らかな唇を、澄んだ水のような瞳を守るためならハイダーシュは何だとて出来る気がする。否、何だとてするのだ。
「それは良かった。ロウバー陛下は親戚筋にあたるのであるから私にとっても大切な方。まだ教えを請いたい事も多い。何よりです」
 ハイダーシュと、叔母であるレイリエが結ばれた事で確かにメルローアとファトナムールは縁戚関係にあるといって構わない。
「親戚筋……? 国王陛下は我が妻との婚姻を……」
「母が祝福に参りましたでしょう。それがメルローアの総意です」
 フランヴェルジュは思ってもいない事をすらすらと並べたてる。いつ、この会談を終わりにするか、いつ、私室へと誘うかその事で正直頭が一杯だった。
 レイリエは伏せ目がちなその目でひたすらブランシールを見詰めていた。
 夫とフランヴェルジュがぴしぴしと張り詰めた空気を放っているが、彼女はそんなものは無視した。
 レイリエにとってフランヴェルジュは、がさつで乱暴で自信過剰な子供に過ぎなかった。そしてハイダーシュに対してもそれと同じ、否、それ以下の評価しか持っていなかった。
 フランヴェルジュを動かしている頭はブランシール。
 レイリエは、国王となった者の重圧とそれ故に遂げる事が可能であった成長についてはまるで考慮に入れなかった。そしてレイリエにとって完璧な男はアシュレ・ルーン・ランカスターしかいなかったのである。
 だからアシュレに似たブランシールに、レイリエは彼女にとっては全ての愚かな男達の中、少しだけ高い点数をつけていた。
 ブランシールは硬直している。
 レイリエの視線に気付いて。
 それがレイリエには楽しかった。
 何とかしてブランシールと二人に、二人になれさえすれば、なんとでもなる!
 結い上げた髪に刺した幾本もの簪の所為で頭が痛かった。その痛みが考える事を邪魔する。だけれどもレイリエはこの日に賭けていた。明日帰る事になっているのだ。次に来るのは忌々しい華燭の典の時か戦の後か。
 この辺りの事は幾らハイダーシュに聞いても確とした答えをくれなかった。何か企んでいるのか無能なだけか、レイリエには判断つかなかったが、戦を起こしてはならないのだ。絶対に。それだけは変わらぬことである。
 きっと私室へと誘われる筈。ブランシールも同席する筈。そこで気絶の真似事でもしよう。国王であるフランヴェルジュが介抱する事はありえない。客人たるハイダーシュが介抱する事も、夫であるという事実を差し引いても可能性は少ない。きっとブランシールが介抱する。召使に託される一瞬だけかもしれないけれども、わたくしとブランシールが二人きりになれる可能性はそこにしかないわ!!
 そこに、レイリエにとっては思いがけない報せがもたらされる。
 だん! だん!!
 殴るように扉を叩く音。
「国王陛下!! 緊急の事態につき入室をお許し下さい!!」
 突如入室を求めたのは、息を切らした兵士の声だった。
 その声の尋常でない様子から、フランヴェルジュは片手を上げ顔の前に持っていくとハイダーシュを見つめた。
 それは無礼を許し給えという仕草。
 大国メルローアの兵士が、礼儀も作法も何もかもを投げ捨てて扉を叩く様が、ハイダーシュには面白くてたまらなかった。そして自分に許しをこうフランヴェルジュの姿にかすかな満足感を得て、赤紫の瞳を細め、唇の両端が持ち上がりそうになるのを懸命に堪えながらハイダーシュは頷いた。
 それはほんの数秒のやり取りであった。
 フランヴェルジュが声を張り上げる。
「何事ぞ? 許す。扉を開けい!」
 フランヴェルジュの言葉に扉は開かれ、現れたは荒い息を吐く二人のメルローア兵と、彼らに担架で運ばれてきた灰色の制服の男であった。
< 125 / 185 >

この作品をシェア

pagetop