エスメラルダ
 国王レンドルの葬儀の後、神殿の大祭司から王冠を戴き、フランヴェルジュは名実共にこの芸術の国メルローアの為政者となった。
 望めば何でも叶う身分である。
 だが、フランヴェルジュはエスメラルダを城に迎えようとはしなかった。
 エスメラルダの醜聞や生まれの為ではない。
 『王』という絶対権力者である自分に、エスメラルダは逆らう事が出来ぬであろう。命令故に手に入るようなそんなものは要らない。
 欲しいのは、心だ。
 フランヴェルジュは毎日のように手紙を書いた。そして、エスメラルダからも毎日返事が届いた。
 目上の人間から送られてきた書簡に返事を出さない、もしくは見もしないでいる事は大変なマナー違反であった。故にエスメラルダは毎日筆を走らせる事になる。
 尤も、エスメラルダが熱心に書いていたのはレーシアーナに対しての手紙であり、フランヴェルジュ宛の手紙はおまけだ。適当に話を流して、後は『お身体に十分気をつけて下さいませ。ご健勝をお祈り申し上げます』と付け加えるだけである。
 しかし、と、エスメラルダは思う。
 フランヴェルジュは暇人なのか? と。
 彼女がそう思うのも無理はなかった。毎日毎日、即位したての、まだ若い国王が自分に長ったらしい手紙を書いてくるのだから、王としての執務にちゃんと励んでいるのだろうかと心配にもなる。
 エスメラルダが放った間諜の情報によれば、兄弟仲睦まじく日々を送っているそうだ。
 フランヴェルジュがふとした事で見落としてしまう細かな事にブランシールは気付き助言する。反対にブランシールが大局的視野を保てなくなった時に、暗闇で手を引くように救い出してくれるのは兄だったりするのだ。
「それにしても憂鬱だこと」
 エスメラルダは久しぶりに黒でもなければ白でもない色物のドレスを着た。
 緑の綾織のドレスは黒の絹で縁取られており、大層豪奢なものだった。いや、ドレスにも確かに人の手と金はかかっているがそのドレスを、エスメラルダの美貌が引き立てているのだ。
 髪は半分だけ上げ、残りは垂らしてある。足首まで届くその髪はランカスターの愛でた黒髪。つやつやと光るその髪を梳るのがランカスターの楽しみの一つであった。
 上げた髪にエメラルドの簪を挿して、エスメラルダは鏡の前に立った。
 美しい衣装を着るという事は、エスメラルダにとっても心躍る事である。
 喪中であるのに、色のついた服を着るのは気がとがめた。だが、国王崩御後、新しい王が即位して、初めてのパーティーなのだ。
 流石のエスメラルダも逆らえなかった。
 まだ前国王の喪中故に派手派手しくは執り行われないことになっている。
 少なくともそういう建前が用意されているが、実際には賑やかな無礼講のパーティーになるのであった。
 故人の思い出話を語り、新しい国王に神の祝福があらん事を皆で祈り、だが、騒ぐところは真剣に騒ぐ。
 メルローアの人間は何事においても完璧である事を己に貸す。祈る心も全くの穢れない真実の心の発露であり、そして騒ぐのは賑やかな場をこよなく愛した故人との思い出の為である。
 どちらも真剣なのだ。
 エスメラルダは馬車に乗って裏門を通り過ぎた。この手配は第二王子ブランシールがしてくれたものだという。
 正面から馬車に揺られて入る事が出来るのはある一定以上の身分のものだけなのに。
 だけれども、厚意は素直に受けておこう。
 裏口はひどく混雑していた。馬車から降りた紳士淑女たちが受付を済ませて、国王名代の許に行く。そして長ったらしい口上を並べ、名代に挨拶を済ませるのだ。
 その列の余りの長さに、エスメラルダは心からブランシールの配慮を有り難く思った。
 きっとレーシアーナだとエスメラルダは思った。彼女が自分の為にブランシールに頼んでくれたに違いない。
 正面玄関からは快適だった。
 人が絶対的に少ないのだ。
 そこで挨拶を済ませ、名簿に名前を書いて国王名代に挨拶する。名代といっても、裏口で待つ名代とは格が違った。
 そこにいたのはブランシール。
 腕に喪中の証である黒の腕章をつけ、衣装も黒一色だ。だが、何と黒が似合う男であろう! 銀髪を結ぶリボンも黒だが銀の髪の艶やかさを更に強調していて、エスメラルダは思わずどきりとする。
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