エスメラルダ
 エスメラルダも、もしかすれば宮廷の花と呼ばれていたかもしれなかった。
 もし、リンカの血族の者達が、リンカとジブラシィ・ローグと言う名前の男との結婚を許していれば。
 リンカの本当の名前はリンカーシェ・ユグリエル・ダムバーグ。だけれども、それは取り上げられた名前だった。
 ダムバーグ侯爵家は王家との繋がりも密接で沢山の娘を嫁がせていた。
 名門中の名門。
 そして、その体面を保つのに必要なだけの金を持っていた。
 リンカ、否、リンカーシェと呼ぼう。リンカーシェは何一つ不自由のない暮らしをしていた。
 おもしろい玩具、甘いデザート、天蓋つきのふわふわのベッド、可愛いペット。牝馬。
 リンカーシェはとても優しい性格の持ち主だった。優しく、そして繊細で、だけれども譲れぬものをしっかりと持った、そんな少女だった。
 一つだけ、リンカーシェには欠点があった。
 それは身体の弱さである。
 リンカーシェはそれでも、毎日やるべき事を怠らなかった。使用人の采配も彼女の仕事。
 そして、神に祈りを捧げ、ダムバーグ家の繁栄を祈り、そして婚約者たるミューレルト伯爵家の青年の為に祈る。
 伯爵家の若者は顔も見た事がなかった。
 それでも嫁がなくてはならぬというのなら嫁ごうと考えていた。
 貴族の婚姻とはこんなものだと諦めていたのだ。何事も、リンカーシェは期待しなかった。その代わりリンカーシェは一身に期待を集める努力をした。そしてその期待を叶え続けてきたのだった。
 婚約者についてはこう思っていた。
 わたくしが愛せなくともそれは構わない。でも、相手がもしわたくしを愛してくれたのなら、それで充分だわ。
 それはある意味酷く傲慢な考え方だった。自分以外の事を切り捨てたも同然の考え方であった。
 だけれども、期待すれば裏切られると知った彼女は、自分は、自分だけは、人々の期待を裏切らない女であろうと努力した。
 愛せなくとも、愛されるように努力した。
 可愛い子。
 優しい子。
 天使。
 様々な言葉がリンカーシェには与えられた。
 金髪に緑の瞳の少女。
 その少女も、漸く髪を上げる事を許され、そして、春の盛りに両親に言い渡された。
「婚礼の日取りが決まったぞ。喜べ。収穫祭の一週間後だ。私は今日にでも、聖アネーシャ修道院に婚礼のドレスを頼むつもりだ」
 その日の父の喜びようにリンカーシェはただ微笑んでいた。
 婚礼用のドレス。
 子供の頃から憧れ続けてきたもの。
 しかも父は覚えていてくれたのだ。仕立て屋ではなく修道院でドレスを作りたいと言ったリンカーシェの言葉を。
 修道院で作ると割高になるが仕立ては抜群に良いのだ。そして、修道院の収益は、貧しい人々や神に仕える人々に分け与えられる。
 リンカーシェは嬉しかった。
 結婚しなくてはならない事が嬉しかったのでは、決してない。
 飢える人々の椀に一杯のシチューかスープが振舞われるかと思うと嬉しかったのである。
「お父様、わたくしもお連れ下さいませ。ドレスの採寸が必要でございましょう?」
 そう言う娘を父は愛しくて堪らぬもののように見た。実際、彼女は掌中の玉だった。婚姻で手放さねばならぬ事がつくづく惜しい。
 しかし、それも娘の為なら、娘の幸せの為なら致し方ない。
 本当に幸せになれるのか? そう思ったこともあるがリンカーシェの性格なら大丈夫だろうとも思う。最近の娘のような浮ついたところが殆どない。自慢の娘だ。どれ程愛おしいだろうとリンカーシェの父は思う。
「勿論だ。お前がいなければ話にならない。どんなドレスが良いか、じっくり修道女達と話し合うのもいいだろう。何せ一生に一度のことだからな」
 リンカーシェが微笑む。
 金の髪が朝日に透け、輝いている。
 こんなに美しく育つとは思っても見なかった。緑の瞳はエメラルドだ。傷一つない宝石。
 そうだ。娘には内緒でエメラルドの首飾りを買おう。婚礼祝いだと婚礼の前夜に渡してやろう。
 心弾む事を考えダムバーグ家当主は幸せそうに何度も何度も頷いた。
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