エスメラルダ
 お祖母様の腕の中は温かかったわ。
 でも、それだけよ。それだけ。
 母のように優しくも無ければ父のように逞しくも無く、ランカスター程の安らぎもくれない。だけれども、お祖母様なのだ。
 エスメラルダは泣きたくなった。
 だけれども、使用人達に涙で腫れあがった目や頬を見られる訳にはいかなかった。
 女であれ主人である以上、強く賢くあらねばならなかった。
 エスメラルダは今日の自分の態度、自分に仕えてくれている者達への対応を恥ずかしく思う。
 そう思えるうちは感覚が死んでいないので大丈夫だと思われるが、だが、エスメラルダの頭にはただ恥ずかしいと言う言葉しかなかった。
 どんな顔をして皆に会いに行けば良いの? あんなに醜態をさらして。恥ずかしい。
 しかし、急に紅茶にアカシア蜜を垂らしたものが飲みたくなった。
 ぐだぐだ考えるより、エスメラルダは動く事の方が好きだった。
 それに、恥ずかしい思いをしなければならないのなら、早い方が良い。
 時間が経てば経つ程、嫌になるし、出にくくなる。
 ぱん! と、エスメラルダは己の頬を叩く。気持ちを切り替えなければ。
 祖母の事ばかりうじうじと。
 大体ダムバーグ家ならリンカーシェがどこに住んでどういう暮らしをしているか位簡単に調べられた筈なのだ。それを今更なんだというのだ? 
「ふざけてるわよ、ねぇ」
 口に出していってみたらすっきりした。
 気が晴れぬ原因はこれだったのだ。
 自分が祖母と名乗る女性に愛情を抱けない事、祖母と名乗るのなら何故娘を捨てたのかという事が引っかかっていたのだ。
「ほんっとうに、ふっざけているわ!」
 エスメラルダは決めた。
 ダムバーグ家には行かない。
 ここがわたくしの家だわ。
 静かで美しい緑麗館。
 此処こそが、我が家。
「皆に謝らなくっちゃ」
 がばりと、エスメラルダはベッドから飛び起きた。
 熱い紅茶にアカシア蜜を垂らせて、足湯を使い、髪を梳かせよう。いつもの『エスメラルダ』に戻るのだ。
 決めたらエスメラルダの行動は早かった。
 詫びの言葉も素直に転がり出て、皆がほっとしたのは言うまでもない話だ。
 夜も更けていたが皆、エスメラルダを心配して、眠っているものはいなかった。
 そして、エスメラルダは足湯を使い、髪を解いて梳いてもらい、紅茶を味わった。
 そんな時に飛び込んできたのが、唐突なレイリエの訪れだった。
「レイリエ様が?」
 時計は二十三時である。
「こんな夜更けにいらっしゃったと言うの? まぁ、冗談ではそんな事言わないわよね」
 緑麗館の者達は皆、レイリエを嫌っていた。
 エスメラルダからしてそうであった。
 だけれども国王の叔母なのだ。
「追い返すわけには行かないわね。あら? 何の音? 雨? レイリエ様を客間にご案内なさい。お風邪を召されて難癖をつけられては……いえ、病気療養で都を離れていらした方が戻った途端に肺炎でも患われては困るもの。わたくしの醜聞に新たな一ページが増えるだけでしょうけれどもね。わたくしは深夜なので明日の朝、朝食の席でご挨拶すると伝えて頂戴」
「それが……エスメラルダ様、レイリエ様はエスメラルダ様との会談をお望みです」
 そう告げた侍女に、エスメラルダは射殺すような視線をあてた。
「お前はわたくしに仕えているの? それともレイリエ様?」
 侍女は顔色を失った。
「私は! エスメラルダ様のものです!!」
「じゃあ、大人しく客間に……レイリエ様!?」
 エスメラルダは思わず叫んでいた。
 扉の向こうに女がいた。
 エスメラルダが最も苦手とする女が。
「御機嫌よう。エスメラルダ。このような時間にお邪魔してご免なさいね。お前達、わたくしに気遣いは無用です。席を外して頂戴」
「レイリエ様、此処の侍女や従僕達は『わたくしの』ものです。命令出来るのはわたくしのみですわ」
 エスメラルダがやんわりと言うと、レイリエは言った。
「では貴女から言って頂戴。外せと」
 エスメラルダは仕方なく了承した。
「どうしてもね、貴女とお話がしたかったの。ほら、わたくし、そう思うと一分でもじっとしていられない性格でしょう? 直さなくてはならないものなのだけれどもね。でも許して頂戴。御願いよ」
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