エスメラルダ
 レイリエは甘えるように言う。
 その手には大きなバスケットがあった。
「エスメラルダ? 許して下さらないの?」
 エスメラルダは必死で唇の端を持ち上げた。
 ああ、笑っているように見えると良いのだけれども!!
「許すも許さないもありませんわ。わたくしはそもそも怒ってはいないのですもの」
 エスメラルダは言う。それは真実だった。怒る暇など無い程にレイリエの訪れは突然だった。
「まぁ、優しいのね。エスメラルダ。貴女、今、眠くて? わたくしの話を聞いて頂きたいのよ」
「構いませんわ、レイリエ様」
 エスメラルダは引きつった笑顔のまま、答えた。足湯を使っていないときでなくて良かった。レイリエが来る一瞬前に片付けられたのだけれども。
 レイリエにわたくしの足を見られなくて良かった。しかも着替えの前でよかった。
 エスメラルダは今もってあの緑のドレスを着ていたのだ。着替えようとしたらレイリエがきたのだ。
 だが、それは幸運だった。
 レイリエはアイスブルーのドレスを一分の隙も無く着こなしている。編まれた銀髪が薄暗い部屋でも鮮やかに輝く。青い瞳が煌々として美しい。その瞳は涙を堪えているように潤んでいた。
 認めなければならない、レイリエは敵だけれども、その姿だけは間違いなく美しいわ。
 そう思ったエスメラルダに、レイリエは主唇に笑みを浮かべ、考えもままならないというのに、エスメラルダ相手には決して使わなかった優しいと言える声で言葉を投げかける。
「優しいのね、貴女。わたくし、お酒を持ってきたの。素面だと話せそうに無いから」
「そんなに重い内容のお話ですの?」
 エスメラルダの問いかけに、レイリエは答えない。
「グラスはあるかしら? サンドイッチを作ってきたの。でも、ご免なさいね、一本しかなかったのよ。ノーブル・ロットは」
 レイリエの謝罪に、エスメラルダは何を謝る事があるのだろうと不思議に思う。
 レイリエらしくない気遣いに驚く位なのに。
「わたくしの部屋にもお酒は常備してありますわ。だから飲みきってしまっても大丈夫ですわよ」
「ノーブル・ロットは無いでしょう?」
「ありませんわ。ノーブル・ロットってどんなワインですの?」
 エスメラルダの問いかけにレイリエが笑う。
 エスメラルダは無知を哂われたような気がした。だが、知っているふりをするより率直に聞いた方が良いに決まっている。少なくともエスメラルダはそう教育されてきた。
 知ったかぶりは恥知らず。
「ご免なさいね、笑ってしまって。貴女が余りにも可愛いからよ。別名貴腐ワイン。白葡萄酒よ。高級ワインとして珍重されているわ。一本の葡萄の木からちょっぴりしか作れないから。高い糖度と濃厚な香りをもつの」
「甘い白ワインは大好きです」
「ええ、知っていてよ。だから貴女の為だけに探したの。グラスを出して頂戴」
 エスメラルダはこくりと頷いた。
「居間に行きましょう、レイリエ様」
 そう言って、エスメラルダはレイリエを先導する。寝室続きにエスメラルダの為だけの私的な居間がある。
 居間のテーブルの上に、レイリエは持ってきたバスケットの中から持ってきたサンドイッチを並べた。
 エスメラルダが居間の戸棚からグラスを出す。テーブルの上に置くとレイリエがワインを注いだ。
 甘い香りが立ち上る。
 エスメラルダはレイリエに座るように勧め、自分も座った。
 顔をつき合わせていると、エスメラルダは何を言って良いのか解らなくなる。
 だが、レイリエは上機嫌だった。
「乾杯しましょう」
 レイリエの弾んだ声にエスメラルダは驚いた。
 まるでランカスター様が生きていらして、そして微笑んでらっしゃる時のようだわ。
「何に乾杯すると? レイリエ様」
 エスメラルダが尋ねると、レイリエは困ったように顔を伏せた。
 そういえば、と、エスメラルダは思い出す。
 ランカスター様だったわ! いつも乾杯の音頭を取っていらしたのは!!
 だからレイリエもエスメラルダも、乾杯の音頭を取る必要が無かったのだ。
 レイリエは俯いた。
 エスメラルダは何とかしなくてはならないと思い思考を忙しく働かせる。
 だがレイリエはすぐに顔を上げた。
「『過ちの終わる夜に』では駄目かしら?」
「過ち?」
 エスメラルダに、レイリエは微笑を投げた。
「わたくしと貴女との間にあった行き違いや誤解を払拭するの」
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