エスメラルダ
 そして乾杯する。
 エスメラルダは一息に酒を飲み干した。甘い。しかしただ甘いだけではない本当に特別な味の、そして馥郁たる香りのまさしく一級品のワインだった。
「貴女に謝らなくてはならない事が沢山あるのよ」
 レイリエはちびりちびりと、舐めるように葡萄酒を飲んでいた。それに気付いたエスメラルダは「あ!」と声を上げた。
「ご免なさい、レイリエ様! 貴女がお酒を召し上がらない事を忘れておりましたわ!! 一寸お待ちになって。誰か!」
 エスメラルダが呼ぶとすぐに誰かが扉を叩いた。
「お入り」
 女主人の言葉に、侍女はすぐに従うと跪く。
「何でございましょう? エスメラルダ様」
「お前、すまないけれども林檎ジュースを持ってきて頂戴。氷を一杯いれてね」
「承りましてございます」
 侍女はすぐに退室した。
「ご免なさいね、気を遣わせてしまって」
「いいえ、わたくしの配慮不足です」
 そう言うとエスメラルダはグラスを見た。
 客人が飲めない物を飲むのはマナー違反ではなかったかしら?
「構わないわ、エスメラルダ。お飲みになって。飲んで頂く為に持参したのですもの」
 レイリエの言葉に、エスメラルダはほっとしたように微笑んだ。
「有難うございます」
 エスメラルダはグラスを手に取ると、くいっと手首の返しだけでその酒をあおった。
「美味しいですわね」
 エスメラルダが笑う。
「喜んで頂けたなら良かったわ」
 レイリエが微笑みを返す。
 エスメラルダは目を細めた。
 何か忘れているような気がするけれども、何だっただろう。
 だが、エスメラルダは思った。
 思い出せないのならきっと大した事ではないのだ。
 こんこん、と、扉を叩く音。
「エスメラルダ様。お持ちいたしました」
「お入り」
 侍女は氷の浮いた林檎ジュースをポットに一杯入れて、持ってきた。
「有難う。お下がり」
 侍女が礼を取り下がるのを見て、レイリエは言った。
「お兄様は本当に貴女を愛していらしたのね……心から、愛していらしたのね」
「何ですの? レイリエ様」
 その話題は避けて通れない道だ。二人の間では。
「ご免なさい! エスメラルダ!! わたくしは子供だったの。何の分別も無かったわ。だから貴女に酷いこと言ったりしたりしたわ! でも、解って頂戴。今は心から済まなく思うの。でも自分の自尊心が邪魔をして貴女に謝る事が出来なかった。わたくしをどうか許して頂戴!」
 エスメラルダは心底吃驚した。
 レイリエが頭を垂れている。ランカスター以外に。このエスメラルダに!
「レイリエ様、どうかお顔をおあげになって」
 エスメラルダは懇願するように言った。
 すると、レイリエは立ち上がり向かいに座っていたエスメラルダの足元に身を投げ出した。そしてエスメラルダのドレスの裾にキスをする。
「レイリエ様!? おやめになって!!」
「許して下さらないといけないわ。御願いよ」
「許します! だからおやめになって!!」
 レイリエは顔を上げた。
「本当に?」
「ええ、本当に」
 エスメラルダの言葉に、レイリエは笑った。
 それは綺麗な笑顔だった。
 宮廷の白水仙と呼ばれていたレイリエ。
 その訳が今なら解ると思う。
「今夜は過ちの終わる夜ですもの」


「過ちの終わる夜」
 レイリエは呟いた。揺れる馬車の中で、その言葉は誰にも聞き取られる心配が無かった。
「総ての過ちは終わるの。でも、お兄様、ご免なさい。わたくしがもっと早くこうしていたら、わたくしが……」
 身体が震えた。
 心から、震えた。
「これは罪ではないわ」
 レイリエは囁く。
「わたくしは誰にも裁かれる事はない」
 自分に言い聞かせるように呟くと、レイリエは笑った。


 エスメラルダは倒れた。
 唐突に意識が遠くなったのだ。
 グラスや皿の割れる音が、遠くに、聞こえた。

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