エスメラルダ
 倒れた? このわたくしが?
 考えると酷く頭が痛んだ。思い出すのを嫌がるように。
「それでブランシールにまず知らせがいった。その後が俺。寝台型の輿でお前を城に運ばせ、それから医師たちの治療が始まったんだが、昨日の夜が山場だといわれてな、俺は一日風邪を引いた事にしてお前の腕と俺の腕をくくりつけた。迷信だと解っているがな」
 淡々と、フランヴェルジュが話す。そのフランヴェルジュの顔には隈がくっきりと刻み込まれていた。
「迷信?」
 エスメラルダの言葉に、フランヴェルジュは驚いた声を上げる。
「知らないのか? 生死の境に立つものが生の世界に帰る事が出来るよう、生の世界の人間と手首をくくりつけるんだ。赤い布でな」
「わたくし、そんなに悪かったのですか?」
 エスメラルダには実感が無い。
「今日で五日目だ。ずっと熱にうなされていた。見ているこちらが辛かった」
「フランヴェルジュ様……何故貴方はそこまでしてくださるのです?」
 エスメラルダの言葉に、フランヴェルジュは瞠目した。
「まさか、気付いてないのか?」
 まじまじと見詰められてエスメラルダは咄嗟に顔に手をやった。
「? わたくしの顔に何かついているのですか?」
「違う、そう言う意味じゃない」
 フランヴェルジュは空しくなってくる。
 この娘は! こっちがどれ程真剣か気付いてもいないのだから!!
「俺は、お前が好きなんだ……!!」
 言いながらフランヴェルジュはクッションに顔を埋めた。
 エスメラルダの顔を見たくなかった。
 きっと、ちゃんと理解しないだろう。
 ぽつり、雨が降る。
 ぽつり、ぽつり。温かい雨。
 フランヴェルジュは顔を上げ。
 そして、驚いた。
 エスメラルダが泣いているのだ。
 声立てず、ぽたぽたと涙を零しているのだ。
 エスメラルダは寝台の上で半身を起こして座り込んでいるのだが、彼女の膝の隣でフランヴェルジュは突っ伏していたフランヴェルジュは、だから涙の雨の被害をまともに受ける羽目になる。
「何で泣いているんだ? 俺の事が泣く程嫌だと?」
「ちっ、違います!」
 エスメラルダは慌てて言った。
「わたくしは……わたくしは、ご免なさい……」
 自分はフランヴェルジュの事をどう思っているのだろう?
 解らなかった。
 だけれども、春の夜会で逢ったときのような猛々しい気持ちは抱いていない。
 征服したいという気持ちは消えていた。
 征服されたいという気持ちがわいていた。
 でもそれは何というものなのだろう?
 エスメラルダはまだ余りに子供過ぎた。
 人間としての成長は、それなりに遂げている。頭も悪くない……恋愛が絡まぬ限りは。
 ランカスターはエスメラルダを外の風から守りすぎた。女神として崇め奉っていた。
 エスメラルダを十代の少女として扱わなかったのだ。
 だからエスメラルダは混乱する。
 胸の中で、シャンパンの泡のように気持ちが生まれぶつかり、弾け、消える。エスメラルダが口にする前に。
 だから、言葉が出ない。
 この涙は何なのかしら?
 ただ強烈に思う。
 嫌われたくない───!!
 では、自分はフランヴェルジュの赤子が欲しいのだろうかとエスメラルダは考える。発想が飛躍し過ぎている事に気がつかないまま。
 だけれども、彼女の顔に朱が走った。
 ランカスターとの未来において、そうなるだろうと漠然と考えていた事柄ではなく、もっと強く熱く生々しく、感じたのだ。
 わたくしは……どうしたいの?
 エスメラルダはあふれ出てくる涙を拭こうともせず泣き続けた。横たわっていたフランヴェルジュがエスメラルダの腰を抱く。横腹に顔を埋めるようにして。
 その温もりは愛しかった。
 そしてエスメラルダはその時、生涯で初めて愛しいという言葉を知った。
 愛しい───イトシイ。
 愛しい───カナシイ。
 一つの言葉に込められた二つの意味を実感した。
 わたくしはわたくしが解らない。
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