恋の花咲く事もある。
邂逅
──手掛かりの一つが拠点もろとも焼け落ちる?
 そこにカティの花があるかも知れないのに?

 そう思ったら、のんびり話など聞いて居られなかった。
「アーシャ様!? お待ち下さい!」
 立ち上がったラゼリードをエカミナが制するが、その言葉を聞く頃には彼は既に椅子を蹴って部屋から飛び出していた。
 やけに繁盛している果物屋の奥から、唐突に飛び出して来た銀髪の青年を、市場の人々が何事かと見やる。ラゼリードはそんな人々を無視して風の流れを読もうと試みた。
 1年以上前に手にした能力だというのに、まだ意図しなければ風を読めない事が自分の未熟さの現れのようでもどかしい。
 スッと顎を上げ、真っ直ぐに空を見上げると、周囲の人々もつられて空を仰いだ。
 その場に居た者が少しでも風の魔力を持っていたなら、気流の異常に気付いただろう。
 そしてラゼリードは間違いなくそれを捉えていた。
 掴んだ気流に導かれるままに、キッ、と音を立てそうな勢いで西の方角を睨む。

 西の空に一筋の黒い煙が立ち上っていた。

「煙だ! 西区街から煙が上がっているぞ! 火事だ!」
 誰が言ったのかは分からない。だが、そういう一言はやけに明瞭に響くものだ。途端に市場は騒然となった。
 大急ぎで西へと走る野次馬根性逞しい若者や、関わり合うのは真っ平御免だと身を竦める年寄り。まだ此方に燃え広がる気配も無いのに逃げ出そうとする者。怯えて泣き出す子供。
 市街地のあちこちでけたたましく鳴り始める警鐘。
 右往左往する人の群れに混じってラゼリードも西へと走り出そうとした。
「やめときな」
 その背中に、地を這う様な低く嗄れた声が掛かった。虚を突かれたラゼリードが踏み出しかけた姿勢のまま振り返る。
「あの人一人で片が付く。あんたが行ったって出る幕はねえ。あんたじゃ、被害を拡大させるだけだ」
 声を掛けたのは、果物屋の荷台の後ろに、大柄な体躯ながらこじんまりと座っていたエカミナの亭主だった。
「どういう意味だ」
 訝しげなラゼリードに、俯いてリンゴを磨きながら訥々と亭主は語る。
「そのままの意味だ。あんたは風だ。火に対してどう戦う? 火の規模によっちゃ風で消せるだろうが、あれは大火事になる。間違いなく消せずに炎を煽るだけだ。燃え広がれば死人が増える。風を集める事しか出来ないあんたはお呼びじゃねえ」
 亭主が灰色の小さな瞳をラゼリードに向ける。鋭い光だった。
 ラゼリードの頬が羞恥と怒りに赤く染まった。勢い良く振り向くと、果物屋の荷台越しに亭主に食ってかかる。
「ではどうしろと!? 折角掴んだ手掛かりをむざむざ灰にしろと言うのか? 私には時間も、見過ごす気も無いんだ!」
「も~、アーシャ様ぁ。最後まで話を聞いて下さいよ~」
 そこへ、元通り三角巾を被って髪を隠したエカミナが現れた。
「エカミナ……」
「流石はあたしの旦那ねぇ。ちゃんと足留めしてくれるなんて。惚れ惚れしちゃうよ。有難う、アレク」
 ちゅっ、という音と共にエカミナが亭主──アレクだそうだ──の頬に口付ける。ラゼリードの中で何がが切れそうになった。
 それを察したのか、亭主が何かを差し出した。
「さっきの話を踏まえた上でどうしても行くのならば、これを持って行け」
 そう言ってラゼリードの手に握らせたのは、手のひら大の大きさの丸いすべすべとした白い石だった。
「それはね、川の底で何百年もかけて水の流れに研磨され、丸く小さくなった石なんだよ」
 エカミナが注釈を加える。
「そいつにゃ地と水の魔力がこもっている。居るだけで風を集めてしまう、あんたの強すぎる魔力の暴走を押さえ、水の護りが得られる。持って行くといい」
「あたしとこの人、2人の象徴さ。名付けて『夫婦石』なんだから、ちゃんと返しとくれよ?」
 受け取ったはいいが、どうしていいか解らずに石を手にしたままのラゼリードにエカミナが笑顔を向けた。相変わらず岩の様に静かで無愛想な亭主も頷く。
「分かった、お借りする。有難う」
 ラゼリードは深々と一礼し、石をポケットに入れると人波を掻き分ける様に走り出した。
 その姿を見送ったエカミナが後ろから亭主の首に腕を回して抱き付いた。甘える振りをして小声で亭主に話し掛ける。
「ねぇアンタ、あの方、どう思う?」
「……あれは戦いには向かねえな。魔法も剣も。魔力だけなら若と五分五分だろうが、戦い方を分かっているか怪しいもんだ。守りの方が適している。厄介な任務を抱えたもんだな」
「でしょう? あの方、自分の向き不向きを解ってるのかねぇ……」
「お前もだろが。厄介なもんに巻き込まれやがって。大人しく果物屋の女主人で居りゃいいものを」
「ごめんねぇ」
 風が吹き、流れて来た煙で動揺する中央区街の一角で、彼ら果物屋夫妻だけが甘い雰囲気を纏い、異彩を放っていた。


「……8時の方角か」
「如何なさいましたの? 陛下」
 一方、ルクラァン王宮の執務室ではエルダナが窓から西の空を眺めていた。
 その背に、同室で政務を執っていた王妃レカが声を掛けた。
「いいや、なんでもないよ」
 言葉とは裏腹に、エルダナは派手な足音を立てて室内を縦断すると、扉の側で両手を一つ打ち鳴らした。
 即座に扉の外から年老いた男性の声が掛かる。
「お呼びで御座いますか」
「バートン。リチャードと共にエカミナの店へ向かえ。西区街の火災が鎮火次第、焼け跡の探索もだ」
「例の件は如何致しましょう」
「エカミナの元にあるならば彼女に任せろ。今は深追いするな」
「御意」
「行け」
 扉の外の気配が消えたのを確認すると、エルダナは再び窓辺に戻る。
 先程まで細く立ち上っていた煙が、ほんの少し目を離している間に空を覆い尽くさんばかりに広がっていた。エルダナが苦い表情で髭を扱く。
「貴方。何を隠していらっしゃいますの?」
 書類から目を上げたレカがやんわりとした物腰で再度問う。
「なにもないよ」
 エルダナは振り向かずに答えた。
「本当はハルモニアの居場所を御存知なのでしょう?」
「いや、知らないよ。判っていたら外泊などさせるものか」
「嘘を仰らないで下さいませ。知っていて、バートンに連れ戻させたりしないのでしょう。貴方が振り向いて下さらないのが何よりの証拠ですわよ。貴方は嘘を吐く時に私の顔を一切見ませんもの」
 レカの言葉にエルダナが振り向いた。心なしか頬を赤く染め、ばつが悪そうに顔を歪めている。
 元々若作りな顔立ちの為、顔に表情が出ると途端に幼さが目立った。顎に髭を生やしているにも関わらず、だ。
「后が王を疑うのか?」
 権力をかさに着てみても、その顔では最早威厳など欠片も無い。レカの前ではエルダナは王ではなく、ただの男性でしかなかった。
「妻が夫に訊いておりますの。一晩戻らず、今も居場所の判らない我が子を心配しない母は、このルクラァン王家には居りませんもの」
 レカが赤い瞳を細める。少し唇が震えている気がするのはエルダナの見間違いではない筈だ。
「……立派な妻で嬉しい。君を妻に戴けた私は世界で一番幸せな男だ」
 レカがピクリと眉を動かした。長い黒髪を肩からばさりと払って立ち上がる。
「それでもまだ言えないと? では時編む姫に伺って参りましょう。あの方なら何もかも御存知でしょうね。貴方の秘蔵の美酒を手土産にしたら、きっとお話が弾みますわ」
「待ちたまえよ」
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