魔王に甘いくちづけを【完】
「参ったな・・・」


男の耳がピクピクと動く。

歌声に誘われるように、森の中を歩いて行く。



「ちっ・・・窓を開けておいたのは、失敗だったな・・・」




家を出る際にあちこちで見た眠り込む使用人の姿。

数時間は起きないだろう。




魔力ある歌声は、奥の方から響いてくる。

目の前にあるのは、行く手を阻むような大きな岩。

この向こうから歌声は聞こえてくる。


この先にあるのは、瑠璃の泉だ。


男は、手慣れた様子ですいすいと大岩を登って行き、向こうを覗き込んだ。



四方を大きな岩に囲まれ、まるでその存在を隠すように木立に囲まれた、深く碧い瑠璃色の泉。


向こうの岩の隙間から絶え間なく水がこんこんと湧き出、涸れることなく水を湛えている。


その小さな泉で唄の乙女が水浴びをしている。




―――見つけたぞ・・・。

だが、困ったことに、すこぶる機嫌がいいようだ。

唄を辞めてくれるだろうか。

唄の乙女は機嫌がいいと際限なく歌い続ける。


・・・しかし、初めての遭遇だが、見惚れるように美しいな。


魔唄を歌わなければこのまま捕え、我らが国王にお傍女として献上したいくらいだ―――




艶々とした豊かな碧い髪。

美しく膝まで届きそうに長いそれは、碧い泉の中に浸され、薄青い指先が丁寧に梳いている。

滑らかで綺麗な薄青い肌が描く、柔らかな体の曲線。

ラベンダー色の唇が動き、魔唄を風に乗せて森の中へと運ばせる。

柔らかく響く可憐な歌声と、たおやかな美しい旋律。

瑠璃の森中に届けられるそれは、すべての生ける者を眠りへと誘う。


唄の乙女の子守唄。


気丈な男の意識も保つのがやっとだ。

たまに体がゆらぎ、意識がほわんっと遠のく。
< 114 / 522 >

この作品をシェア

pagetop