ナル男と私
それから、どうやって帰ったのか記憶にない。ただ覚えているのは、挨拶もそこそこに後にしたマッスのひやっこい空気だけ。

知り合いに見つからなくて本当に良かった。

天国のお母さん、私誓うよ。二度とナンパに着いていかないって ――

「豊ー、ご飯だっつてんだろ」

ドカッと扉を蹴り開ける音と共に、不機嫌そうな母が部屋に乗り込んでくる。折角自分の中の物語に浸ってたのに、すっかり冷めてしまった。

――そう、我が家の母は健在である。それこそ、私が困るぐらいには元気だ。

視界に移る母の姿に、思わず溜め息が漏れる。身長172センチ、スラリと長い手足とスレンダーな体つき。モデルのように均整のとれた肢体と、スッと整った鼻腔。ニュースキャスターのような洗礼された女性的な柔らかな雰囲気。人によっては、羨ましいとか素敵とか言うが、とんでもない。

我が母親は、それは見事な絶壁体型をしているのである。お世辞にも胸がある、と形容し難いそれはブラジャー?何それ?の世界だ。母の胸に若干の厚みを加えただけの私は知っている。

小さいブラジャーを探すことがどんなに大変か…。それは、涙無くして語れない、壮大な物語が秘められているのだ。

私の顔が中性的であっても、胸がCぐらいあれば少しは女子っぽく見えたに違いない。遺伝子の残酷さは、ジワジワとあたしの青春を蝕んでいくのだ。

「何だい、人の顔ジロジロ見るんじゃないよ。お小遣いなら静二(せいじ)さんに直接ねだんな」

怪訝そうな母の顔。江戸っ子だったお祖父ちゃんの影響で、チャキチャキな母の言葉はより男前。

そんな母でも静二さん…もとい父の前では乙女なのだから、我が家は平和な家庭だろう。

「父さん…帰ってくるって?」

プロのカメラマンをしている父は、あまり家に帰らない。海外を行ったり来たりする生活が長く、時折帰って来ると、まるでソレまでの寂しさを紛らわすように母は父にベッタリする。

こう見えて寂しがり屋な母に、緩く見えても大人な父。正反対な性格なのに、二人は本当に仲良しだ。

「今朝電話があってね、それより早く降りてきな。飯が冷めちまうよ」

「はーい」

間延びした返事を返すと、ベッドから立ち上がって階下へ下っていく。

しかし、この時私は知らなかった。久しぶりに会う父が、自分の運命を変えてしまうことなど――






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