シャクジの森で〜青龍の涙〜
噂話を心の中で消化しつつ、エミリーは部屋に戻った。

側室のお話は、まだまだ現実味のないこと。

もしも迎える事態になったなら、アランは、一番にエミリーに相談してくれるはずなのだ。



“こちらの扉は、使わぬ”



そう。あのときに、約束してくれているのだから。

今は心静かに刺繍に精を出すことに決め、エミリーは針を持った。



その頃、噂のアランは――――


皆と共に山の中にいた。

馬車もぎりぎり通れるような山間の細い道を、騎馬の列が進んでいく。

専用の小さな馬車に乗るビアンカ以外は皆馬に乗って、ある場所を目指していた。

サディルのルドルフ、ルーベンのレオナルド、ギディオンのアラン。

後見国で行う議の後に最終の仕事として三人の王子が毎年訪れるのは、城からほど近い山の中にある『雪花の泉』と『神殿』ともう一つ『風の谷』と呼ばれる場所だ。

どこも場が狭いために大勢で動くことが出来ず、皆が最小限の兵を連れている。


やがて三方を崖に囲まれた行き止まりに着き、いつも通りアランたちは馬から降りた。

一行の眼下に広がるのは、白い霧に覆われた谷だ。


レオナルドは早速崖ぎりぎりの位置に立ち、下を覗き込んだ。

近くに生えている草を千切り谷に放り込めば、ゆらゆらと揺らぎながらもそのまま真下の霧に吸い込まれていく。



「レオナルド殿、どうですか」



難しい顔付きをしたルドルフがレオナルドに声を掛けつつしゃがみこんで、谷を見下ろした。



「あぁ、ルドルフ殿、ご覧の通りだ。相変わらず、ここには風が無い。“風の谷”とは名ばかりだ」



まるで雲海のように立ち込める霧の中には、微かに地が見える部分もある。

が、その部分が全く変わらないのは空気が動いてない証拠なのだ。


風の神が住まう谷。


神話によれば、常にここから清んだ風が吹き、国を守っていたという。

それが今は、年々空気が淀んでいき禍々しい空間と成り果てている。



馬車を降りたビアンカは、ひたり・・とアランの腕に寄りそっていた。



「アラン様、いかがですの?変わりはありませんでしょう?」



色香たっぷりな声を出してアランを見上げ、ビアンカはにこりと微笑む。


ウォルターはその様を見て、心の中で苦笑していた。

何度拒絶されようとも懲りずにアピールするのは、ある意味尊敬できるところでもある。

余程、アランに惚れ込んでおり、かつ、必ず振り向かせられる自信があるのだろう。

世俗的な言葉で言えば、確かに“イイ女”なのだ。


だが、アランの反応は――――



「ビアンカ殿、危険ゆえ下っておられよ」
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