平穏な愛の落ち着く場所


普段とは違う疲労感と心地よい気だるさが
千紗の身体を包んでいる

『くくっ……』

頭上から笑い声が聞こえてきた

『なに?』

『激しかったな』

言われて千紗は真っ赤になった。

『寝てしまったのね……』

『俺もさっき目覚めた』

顎を持ち上げられて唇が重なる

『ダメ……もう……』

『ああ…さすがに俺も無理だ、
 昼飯食べ損なったな』

彼の言葉にハッとして、ベッドサイドに
置かれた、腕時計を奪うように見た。

『そんな!!』

『何事だ?!』

千紗は慌ててベッドから降りて、
立ち上がったところで、へたっと座り込んだ

『立てない……』

『そりゃ、あれだけ激しくすれば、
 腰にクるだろう』

『馬鹿馬鹿!!どうしよう!』

『何事だ?』

『こんな事して母親失格よ』

『落ち着け、どうした?ちゃんと話すんだ』

『紗綾のお迎え、このままでは間に合わなく
 なってしまう……』

『わかった』

崇はベッドから降りて千紗を抱き上げた。

『やめて!下ろして!私行かなくちゃ……』

抵抗しようとするとベッドに戻されて
思いがけない言葉を言われる

『俺が行こう』

『えっ?!』

『おまえはここにいろ』

『なに言ってるの?!ちょっと!崇さん!』

慌てる私をよそに、クローゼットから
薄いブルーのオックスフォードシャツと
ジーンズに素早く着替えた彼が出てきた

『これだとダメか?』

お迎えにドレスコードなんかないわよ、
千紗は首を振る事で質問には答えたが
にわかに信じられず、別の意味で
もう一度首を振った。

『ねえ、本気?』

彼はその問いかけを無視して部屋から出て
いくと、私の鞄を持って戻ってきた。

『俺が行くと連絡しろ』

本気なんだわ!

『待って!無理よ!あなた紗綾に会った
 ことないでしょ!』

『千紗!!』

強い言い方に思わず肩をすくめた。

これはダメだわ

こうなったら、彼は譲らない

『意味のない押し問答して時間を
 無駄にするな!その分だけ子供は寂しい
 時間を過ごさねばならないんだぞ!』

確かに彼の言う通りだ。
紗綾の不安そうな顔が浮かんで奥歯を
グッと噛み締めた。

『わかったわ』

千紗は携帯を出した。

電話に出た先生に足を挫いたと話して
園長先生に代わって欲しいとお願いした。

紗綾の保育園はセキュリティが厳しい。
もちろん、登録している人にしか
子供の引き渡しはしない。
例え身内だろうとも。
ここだけは冴子に頼んで決めたものだ。

気まぐれな元夫が表れて、勝手に連れ出されないように。

『……ええ、申し訳ありません…
 大丈夫です…えっ?!身元の保証?
 ですが……わかりました、気を付けます
 よろしくお願いいたします……はい』

『大丈夫か?』

『身元を保証するものを提示して欲しい
 って……』

『わかった、他には?』

ちょっと待ってと手で合図する。

『紗綾?そう、ママよ。えっ?
 ……そうなの、園長先生に聞いたの?
 心配しなくても大丈夫だからね…そうよ
 崇おじさんはママのお友だち……
 ええ?!えっと……ハスキーかしら…
 そうね、待ってるわ、じゃあ後でね』

『話はついたか?』

『ええ、でも本当にいいの?』

『千紗』

今度はため息混じりの低い声。

『もう!わかったわよ!
 まったく、私の名前を呼ぶ声色だけで
 自分の言いたい事をわからせるのは
 やめてよね!』

言ってから、はっと口を押さえた。

声色だけで彼がわかると、それほど彼を
理解していると告白したようなものだ。

彼の瞳が面白そうに輝いた。

『やめて!それ以上何か言ったら、次は
 その魅惑的なお尻をつねるわよ!』

彼は何も言ってないじゃないの!
その上なにを告白してるのよ、バカ千紗!!

彼の口の端が大きく上がった。

『もうっ!』

真っ赤な顔で枕を投げつけると、
崇は声を上げて笑いだした。

昔、よく聞いた温かみのある低い笑い声

彼はお腹を押さえながら、枕を投げ返した。

『あー腹痛い!おまえといると、どういう
 感じかすっかり思い出したよ』

滅多に見せない、彼の寛いだ笑顔は
簡単に千紗の心を溶かしてしまう

千紗は自分が同じ笑みを返しているとは
気づいていなかった。

『な、なに?』

崇はゆっくりと一度深呼吸した。

『場所と写真を寄越せ』

彼の携帯を傾けられて、赤外線で紗綾の
写真を送って、続いて保育園の住所のメモ
を送る。

『おまえに似てるな』

紗綾の写真を見た彼の笑顔に、きゅっと
胸が締め付けられた。

『いってくる』

『崇さん!』

部屋の扉を開けた彼が、三歩で戻ってきて
力強く唇を重ねられた。

『心配するな、すぐに戻る』

『ありがとう』

不思議な気持ちで見送っていると
振り返らずに彼が言った。

『千紗、挫いた足は冷やしておけよ』

『もうっ!』

楽しそうな笑い声がリビングに響いていた。


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