平穏な愛の落ち着く場所

千紗は、ぼうっと立っている。

痩せた……前から細かったが、
あんなに鎖骨が浮き出てはいなかった。
子供を産んでいるとは思えないな。
綺麗なストレートの長かった髪も、
肩先のボブに切り揃っている。
それに、アーモンド型の魅惑的な瞳が
疲れている。

結婚生活が上手くいってないのか?

そう言えば、さっき冴子が意味不明な事を言っていたな。

『駅から歩いてきたのか?』

『え?』

彼女は俺の顔を見て、初めて存在に気づいたように、はっと驚いた顔をした。

『崇さん……』

『何故、車を使わない?
 免停にでもなっているのか?
 旦那はどうした?』

千紗は最初、質問の意味がわからなくて、
首をかしげた。

そうか!
この人は私がまだ結婚していると
思っているんだわ。

『運転はもう何年もしてないの』

妊娠がわかった時に、大切にしていた
愛車は処分されてしまった。
私に何の断りもなしに……
それを当時は自分の身体を思ってくれる
愛情だと勘違いして喜んだなんて、
本当に馬鹿だったわ。
あれは私の名義だったのに。

『そうか……
 その、何か困っているのなら』

『何も困ってないし、
 あなたに心配していただくこともないわ』

『ならば言うことはないな』

『ええ。早く中に入って
 美味しいものをいただきましょう』

彼女の言葉に、今日何度目かの違和感を
感じた。
確かこういうパーティー料理は好みじゃなかったはずだ。

『子供が出来ると味覚が変わるのか?』

千紗は小さく笑った。
彼の中で私はあの頃のままなのね。

『昔の私はもうどこにもいないのよ……
 ごめんなさい……
 でもあなたがそんな風に、私を気にして
 くれていたなんて、当時はぜんぜん
 気づかなかったわ』

もちろん気にしていたさ!

そう言って、細い肩を揺さぶりたい
衝動を抑えた。
今だってあの頃と何ら変わらず、
彼女を心配してしまう自分に崇は苛立った。

『君は自分の事で精一杯だったからな』

『それはあなたが……
 やめましょうこんな今更な話』

『ああ、過ぎた事だ』

『ええ』

無言で扉を開けた彼に続いて、
千紗も中に入った。

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