感想ノート
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上杉漱五郎 2008/06/01 00:11
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「トイレの王様」を、某サイトで応募して気ました。
どうかな?
…心配だ。ペンコ 2008/05/31 21:03
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自負って言葉、カッコイイですね。誰にも言われていない責任感のようで。
因みに映画館の場合、大迫力に期待していますので、SFや歴史大作、アクションにピッタリですね。
ホラーは家で夜に一人で見た方が、断然、怖いですよね。
さぁ、今度はランボーとナルニア行って来る予定です。ペンコ 2008/05/30 07:34
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また、プライドを、日本語では自負と置く辺りは非常に意味深ですね。
ちなみに映画は洋画、それもSFがやはりど真ん中になるんでしょうか?
SFは映画館に尽きますね。ホラーは家の方が怖かったりしますけど。上杉漱五郎 2008/05/30 00:28
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プライドを捨てると言いますが、実際は自分を塗り替えるんだと、私は思っています。
所詮、プライドは側見です。
でも、捨てられないから、塗り替えるのです。
人間って、面倒くさい生き物なんですね。
あっ、コレ。
上杉さんのブログから反応してみました。ペンコ 2008/05/28 10:12
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「真夜中に口笛が聞こえる」の執筆再開しました。
「犬祭りの廃村」は、じっくり行きますよ。
気晴らしに「読み古したマガジン」を追加します。
他にコメディとファンタジーとサスペンスが書き掛けです。
通勤時間だけで、完成するのであろうか。ペンコ 2008/05/27 20:35
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一人だけ黙っているのはズルイので、そろそろ発言。
「善悪」は人が決めたものだと思います。そこに、防衛「本能」によって、善や悪にすることの出来る都合の良い概念ではないかと思います。
勿論、言葉自体の意味は崇高なものであると理解はしています。
「理性」は、私は「本能」ではないと思います。自我から生まれた「自分に対するルール」と言ったところでしょうか。
「エゴ」は自分以外を認めないものだと思うのですが、ならば、人間からの森への仕打ちは、犠牲の下の生存にあるのではないでしょうか。
つまり、そこに「本能」が絡む訳です。
「エコ」は「隣人の森」で言うところの、理性の復元です。
そういった自然と人間の葛藤を、書きながら考えていたのでした。
ウーン。
何かヘンなこと言ってないかな。心配。
それにしても、高尚なやりとりでした。
ご馳走様でした。ペンコ 2008/05/27 13:22
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まず動物に無い“精神”こそが理性。これを抜いた動物的な側面を持つものが本能。
自我とは心。心とは精神。そして精神こそ理性。それを分析することがもうすでに理性の中なのです。
また理性にも二つあり、実践ではなく、純粋な理性の方ならば、これは本能とも言えるほどに広義な意味も持っているので、他の命の理性的救済の問いを答えるとするならば、これは答えが三分してしまうわけです。
性善説が正しくその過程にあるならば、この場合もすべて本能ともいえますね。
哲学の論でタブーなのは完全と絶対という言葉。
エゴが本能だと寂しくなるのは、自己とは無関係な戦争が起きた場合に何も感じなくなる恐れがあるです。
まさかこんなところでこういった話し合いが出来るとは思っていませんでしたが、メガネさんとお話できて光栄に感じております。
ありがとうございました。
どうぞお二人の会話にもどられてください。上杉漱五郎 2008/05/26 23:27
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まずは、結城りらさん
読みますよ。
気長に待っていて下さいね。
さて……、エゴ、エコ、本能、理性のお話ですが、もう少し頭の中を整理します。ペンコ 2008/05/26 12:37
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こんばんはペンコさん。
そうなんです。会話場作ったんですよ(^^)
硝子のアリア読んで見てください。り ら 2008/05/25 20:59
トイレの王様の事でちょっとお話したい事があるのですが、魔法~の掲示板が宜しいでしょうか?それともこちらが宜しいでしょうか?
どうしてもよくわからないところがあるのと、後は一言、二言です。