阿修羅
私は、床にへたりと座り込みました。
薄い月明かりが兄を照らします。

「兄様……」

兄はハンマーを、ごとりと取り落としました。
そうして、返り血を盛大に浴びた自分の右手をしみじみと眺めました。

逆光で表情は読み取れません。
透き通るように青白い兄の肌が、まるで夢を見ているかのようです。

やがて、私に視線を向けると言いました。

「ごめんな。助けるのが、遅くなって」

兄の声は震えていました。
それもそのはず。
兄はたった今、人を殺したのです。
そうしてその男の躯体は、今なお私たちの眼前に、横たわっているのですから。

「朝子」

すこし裏返ったような声でした。

私はやおらに立ち上がると、兄の胸に飛び込みました。
鍛え抜かれた厚い胸板に顔をうずめて、兄の寝間着をしっかりと掴みました。

「怖かった……」

私は泣きじゃくりました。
兄はそんな私の頭を、何度も何度も、愛撫してくれたのでした。
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