赤いスイートピー
「あっ…!」
チエミは、「星月夜の鉛筆画」と題された絵の前で立ち尽くす。
ヒロユキがチエミに見せてくれたスケッチブックにあったあの絵だった。
ー俺、舘野高二年のニシノヒロユキです…
幾つもの古い記憶が蘇る。
改札口で初めてヒロユキに呼びかけられた時のこと。
手をつないで歩いたこと。
ヒロユキの水筒にためらいながら、口をつけたこと。
その隣の絵は、鮮やかな赤い花束が抽象的なタッチで描かれた水彩画だった。
絵の隅に鉛筆で「赤いスイートピー」と大きく記されていた。
そして、一番奥の少女の顔のデッサン画を見て、チエミは驚いた。
少女は俯き、はにかむように微笑んでいた。細い髪が、かすかに風に揺られている。
絵の隅に鉛筆の字でヒロユキが記していた。
「CHIEMI」と。
その絵の中の少女は、まだ少女だった頃のチエミだ。
公園でまっすぐに鉛筆をかざし、真剣に自分をみつめるヒロユキ。
チエミは絵の前で、口元を両手で覆う。
堪えきれず嗚咽が込み上げ、涙が止まらなくなった。
すぐそばにいたカップルが、不思議そうな顔をしてチエミを見る。
下をむいて手の甲で涙を拭うチエミに、誰が白いハンカチを差し出してくれた。
「…ありがとうございます。」
チエミが顔をあげると、 淡いグリーンのワンピースを着たショートヘアの女性が微笑みながら立っていた。
「私はヒロユキの姉です。今日はいらっしゃってくれてありがとうございます。」
ヒロユキの姉はチエミの右手を取り、両手で包み込んだ。
「あなたがチエミさんなのね。弟が好きな子が出来たっていってたのあなたなのね…」
ヒロユキの姉の目から、涙の雫がこぼれ落ちる。
「…きっとあの子が呼んだのね。」
チエミはうんうんと、鼻を少し赤くして笑顔でうなづく。
「あの…。」
涙で濡れた瞳のまま、チエミは肩に掛けていた黒いトートバッグを差し出した。
「これヒロユキさんにお借りしてたレコードです。今更なんですけど…長い間お返し出来なくてすみませんでした。」
「Seiko Index」とタイトルされた古い松田聖子のLP盤アルバム。
「赤いスイートピー」が大好きだった少女のチエミが、ヒロユキに借りたまま、返せずにいたものだった。
