くだらない短編集
物語は、繰り返される




その高校で、彼──冬木(とうき)は目立つ存在だった。貌容が、些か派手過ぎるのだ。ピアスの付いた耳や舌、唇や臍。黒髪で、お洒落に、無造作ヘアーで。しかし、内面は言う程、不良ではなかった。全て彼個人としての“趣味”にしか過ぎないのだ。世間一般はそんな彼を許容しようとはしないのだけれど。

「何やってんのさ」

にこり、と。桜(さくら)が笑う。教室で一人、冬木が本を読みながら昼食をとっている時だった。冬場の寒さが、窓から滑り込んでいる。周囲の生徒から少し距離を置かれている彼は、一匹狼だ、と言われることが多いのだが。その様な一匹狼に、いつも彼女は声を掛けた。

「何、やってんのさ」

「俺は本を読んでたんだ」

「本?きらーい。読めない」彼女は、子犬みたく笑った。冬木の前の席に座って、足を組む。キャメルのカーディガンに隠れそうな程短いスカートから伸びる足は、すらりと細い。

「良い本だよ。空想の中で死ぬと、現実に置かれた全ては消えてしまう。現実の中で死んでも、置かれた全てはいつか消えてしまう。けれど、空想が現実となり、現実が空想となったとき、全ては潰れて、永劫回帰する」

「はあ?意味解んない」彼女は口を尖らせて、可愛く言った。茶に染められた髪の毛が、甘い蜂蜜の様に、とろけている。

何を隠そう、冬木は桜に惚れていた。彼女が笑えば、桃色の桜が満開に咲いた。柔らかい日差しの中で、あたたかい色が、心に沁みて。

「でも、すごいよね。とーき、すごい。かっこいいよ」

「るせ」何となく恥ずかしくて、もう一度、うるせえ、と小さく呟く。桜は花を、綺麗に咲かせた。



───はやく、おいでよ

どこに、と。冬木は言い掛ける。彼はいつ間にやら、鏡に向かって立っていた。多分、家の洗面所の鏡だろう。多分、というのも、夢の中の様で曖昧な気がしたのでこう筆写している。鏡の向こうの冬木の姿形をした男は、歪な笑みを浮かべていた。継ぎ接ぎの笑顔、と言ったところか。

「だ、誰だよ。てめえ」背筋に恐怖が這いずり回る。震える声が、情けない。写る黒色の虹彩は空蝉の如き虚無さを持って。

「誰って?僕は、君に決まっているじゃないかい。ジョークが上手だね」

ぽつん、ぽつん、水滴の音が、耳に聞こえる。今、横にある風呂場への扉も、廊下へ続く引き戸も、開けたならば茫洋たる闇が広がっているのだろう。そう錯覚してしまう程に、孤独な、瞳孔で。

「はやく。はやく、はやく、はやく。こっちの世界においで。大好きだよ」鏡の中の冬木が、彼に手を伸ばした。否、もう既に、それは異形となっていたのかもしれない。息を飲んで、冬木は後退する。其れの口が、左右に大きく裂けて。爪先が、手の平が、伸ばされる。その爪の中に、こびりついた、血、が。



「ねえ!とーき!聞いてる?ねえ、」

女の声が耳に劈く。冬木は目を見開いた。愛らしい笑顔が、眼前にあった。教室の喧騒が、徐々に存在を示してくる。冬の寒さが、追随して襲って来た。身震いして肩を竦める。

「もう。とーき。ひどいよ。ぼんやりして」生命力のある瞳を見て、安堵する。

「ああ、いや」

黒板に、字が書いてあった。よく分からない数式だ。呪文の様にも見える。異世界に来たみたいだ。ということはきっと、数学関係者は皆、宇宙人だ。 教室に置かれた椅子と机は41ずつ。教室全部が例外なく統一されている。木製の床は、砂で汚れていた。チョークが教壇に落ちている。桜が、愛らしく、笑っている。

此処は、現実だ。安心して、手元を見る。読んでいた筈の小説は、何処にも、ない。



─────はやく

視界が暗闇に染められた。知らない場所の路地裏に、佇む、影。今日は一体何なんだ、と冬木は溜め息を吐く。そうして、思う。今日は、なのか。今、横にある昨日も、明日も、開けたならば茫洋たる闇が広がっているのだろう。

「な、何やってんのさ」恐怖に震える女の声。冬木はその声に聞き覚えがあった。振り向いて、その人を見る。誰だったろう。記憶が、揺れる。現実が、暗くて良く見えないじゃないか。

「とーき、何、を」

「何?僕が?」手元の包丁を、くるりと回す。血濡れのそれは、今し方、人を殺害したばかりだった。だって、そいつが顔を怖がったから、仕方ない。次は彼女かな、と冬木は嗤う。記憶が揺れる。現実は、何処だ。

「とーき、とーき、どうして」女は泣いた。キャメルのカーディガンに隠れる程短いスカートからのびる足は、細くて、綺麗だ。切り刻んだら、愉しいのだろうな、と彼は思う。通常の様に、マスクに手を掛ける。マスクを外した顔に、浮かべられた笑みは、狂気に歪んでいる。

口は頬まで裂けていた。口裂け女の様な風貌だ。赤い血が裂けた部分から滴り落ちる。べり、と皮膚が破ける。気持ち悪い程に、黒い眼は空洞の様で。女は恐怖に足を竦ませる。冬木は何故か、残念な気持ちを抱いた。信じていたのに、と。

いや、何で。

「私、ごめん、とうき、ごめん、ちがう、の。こわがってごめんね」

「うるさい。う、るさい」止めろ、と誰かが叫んだ。優しい笑顔が、視界の端で、チラつく。桜が満開に咲いて。包丁は血濡れだ。返り血は、浴びていない。白のチョークは教壇に落ちていたか。暗闇は、何処まで続くのか。うるさい、五月蠅い、五月蠅い、だって、彼女は。

「っ、さくら」




「さくらァ?」

隣の教室の男子が、首を傾げた。人を探しに来た彼に親切にも応えてくれた、人懐っこい笑みを浮かべる子犬の様な青年だ。冷たい印象を与える美形とよく連んでいる。サッカーを外でやっているのを、よく見掛けた。よく、見掛けた、筈だ。

「そんなン、いねえよ」

なあ、と彼は彼の友人に声を掛けた。彼の後ろに居た美形が、小さく頷いた。

「いねえ?あ?どういうことだ?休みか」

「だから、そんな生徒、いねえッて」純粋な眼に、見つめられる。冬木は口籠もる。廊下から確認する限り、確かに机は40脚しかない。疑問が脳内を占領する。朝、服が、返り血で塗れていた。包丁は、相も変わらず、紅色で。空想の中で死ぬと、現実に置かれた全ては消えてしまう。小説の一節が、静かに、声を挙げた。



─────はやく、おいでよ

「どこに」と、今度は口に出す。鏡の向こう側の男が歪な笑みを浮かべた。口は、頬まで裂けている。気味が悪い。ピアスは、穴を、塞いではくれない。

「現実に」

「そっちは、空想だろう」

「違うよ。現実は、君の願っている方の世界だ。君は、今、どちらを願っている?こちらには、彼女がいる」

鏡の中の男は包丁を持っていた。服は、血濡れだった。洗面所の蛇口から、水が、滴り落ちている。

「ほら、おいで」彼が、手を伸ばした。否、自分が、かもしれなかった。絶望は救済に変わる。鏡の中の彼の指先が、頬に触れた。ああ、ようやく、おれは、



─────本日午後12時頃、高校生の遺体が自宅にて発見されました。警察は自殺の線が強いとし、いじめの関連する自殺なのかどうか、教育委員会と検討中です。しかし、最近は若者の自殺が多いですね。今回の事件に関して、専門家の方の意見は───



■物語は、繰り返される


(なあなあ、知ってる?物語とか空想って、人を食べちまうんだと)
(知らなーい)
(だから、都市伝説とか、現実に起きてても、誰も信じない。その人の存在が消えるからな)
(じゃあ、何で君はその話を知ってんのさ)
(え、あ、何でもねえよ!)

(どうせ空想と現実の区別なんてないのに)

(あ?何か言った?)
(いいや、何でも。はやく行こう、とーき)



《捧、ミクロ卿様》
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