平成のシンデレラ


「うわあ、きれい」




開けた窓から無邪気に夜空を見上げる香子の横顔に
唇を寄せたくなった衝動を辛うじて律して席を立ち
ウォーマーに火を灯して、ポットに茶葉を計って入れた。




「ああ、それは私が!」
「黙って見てろ」
「でも」
「美味い紅茶の入れ方を教えてやる」




慌てる彼女を制して湯を注いだポットをウォーマーの上に置いた。
小さなロウソクの火で温めるウォーマーは
えらく古臭い気がするけれど、この灯の温かみがいいのよ、と
目を細めた祖母の言葉通りにそれは気持ちを癒してくれる。



「そろそろだな」
「では ここからは私が」



そういって伸ばされた香子の白い指先が一瞬、俺の手の甲に触れた。
何の彩りもない短い爪と
何ひとつ飾りの無い女の手を見るのは久しぶりだった。
その手が磁器の間をしなやかに動く。
ふと小さく欲情してしまうのは その無防備さのせいだろうか。




「君も・・・一緒に」
「もちろん、そのつもりです」




美しい琥珀色の液体に満たされたカップから
ゆらゆらと立ち上る湯気と香りが気持ちを和ませる。




「このパイを独り占めなんて、ご主人さまと言えど断固抗議しますわ」




小ぶりの一口サイズに成形されたアップルパイ。
祖母がよく作ってくれた菓子のひとつだ。
毎年この時期にここで休暇を過す俺に
祖母が亡くなるまで長年仕えていたメイドの如月が
祖母の味そのままに再現して差し入れてくれる。
如月は今、祖母の愛したこの土地で
穏やかな隠居生活を送っている。 今でも俺を「坊ちゃま」と呼ぶ如月は
白川と同じく俺の生まれる前からこの家に仕えていた。俺にとっては居て当たり前の家族のような存在だ。
今年は会う事ができなかったが息災にしているのだと信じたい。



「好きなのか?アップルパイ」



盛られたうちの一つを摘み上げる。



「はい、大好きです!」



にっこり笑った香子の顔を見て思う。
幸せを絵に描いたような顔とはまさにこんな顔なのだろうと。
何とも安い幸せだが、悪くない。



「焼き立てにバニラアイスなんかが添えてあったらもう最高。
いうコトはありません」



どうして女は甘い菓子の話になると
こうも幸せそうな顔をするのだろう。
全ての女がとは言わないが、少なくとも目の前の女は
そういう部類に属するらしい。
まったく・・・。
なんて顔をしやがる。今にも溶けてしまいそうじゃないか。




「バーカ・・・」
「はい?!」
「なんでもない」




そういう顔を無防備に男の前でするんじゃない。




二つ目のパイを口に放り込んで
残ったパイが盛られた皿を香子の前にずらしてやった。



「やるよ」
「はい?」
「俺はもう十分だ」



甘いものは好まないがこれだけは別だ。
幼い頃の懐かしい味は思い出と共に気持ちと心を癒してくれる。
とは言え二つが限界だ。



「え?これ、全部?」
「ああ」
「うわぁ嬉しい~。 ありがとうございます」



明日の朝ごはんもこれにしようと
無邪気に綻ぶ香子の顔に胸の奥が甘く疼く。
俺の知る30女といえば、メイクとドレスとジュエリーで隙なく装い
にじみ出る艶を上手く纏った女がほとんどだ。
そんな女達は、今、目の前にいる香子のような「素」に近い姿なんか
たとえベッドの中でさえ俺に見せることはない。
全てを剥ぎ取り一糸纏わぬ素肌であっても
自分を「魅せる」気取りは解かれない。



昔、「それが大人の嗜みよ」と薄く笑ったオンナがいたが・・・
香子の飾り気の無い手元だけでなく 
化粧も髪型もスタイルも全てがナチュラルな
女としての武装を解いたその無防備さは
成熟した大人だけに返って艶かしく映る。




「では何か果物でもお持ちしましょうか」




席を立ち、キッチンへと行きかけた香子を引き止めた。




「待て」
「は?」
「せっかく入れてやったんだ。冷めないうちに飲めよ」

「そうでした!」




香子はパタパタと戻ってきて「いただきます」とカップを手にした。
美味しいと綻ぶ笑顔の無邪気さと、その笑顔の奥に潜む
女の顔とのギャップにまた胸が騒ぎ出すのを抑えきれない。


艶も色も洗い落としてしまった素朴さの象徴のような
木綿のシャツの襟元から覗く、白く輝き 艶を放つその肌に
唇を寄せて甘く咬んで強く吸い上げて・・・
その笑顔を官能に酔いしれる女の顔に変えてやりたい。


あの夜のように。



つい手を伸ばして引き寄せてしまいそうになる衝動を
熱い液体とともに飲み下だした。

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