あいのことだま
「あー杏奈。元気だった?」
麻人の声は明るかった。

彼の問いには答えず、杏奈は切り出す。

「あのさ、私…」
杏奈は躊躇した。

「なに?」

「私、妊娠した。」

麻人の返事はなかった。

「聞こえた?」

「…うん。びっくりした。
それって俺のってことだよね?」

「当たり前じゃない。」
杏奈は少し腹が立った。

「悪い、言葉のアヤだよ。」
麻人は慌てて言う。

「安心して。私、生まないから。
中絶同意書にサインして欲しくて電話したの。麻人だってもう社会人なんだから、責任あるよ。費用は私の貯金から出す。サインだけしてよ。」

「…サイン?」

さっきから麻人の言葉がワンテンポ遅れることに杏奈は苛立つ。

「そう。名前書くだけだから。
郵送するから送り返して。」

「あのさ、こんなこと、電話じゃなくて直接逢って話すことだろ?
今、家?ちょっと出てこれない?
迎えにいくから。」

麻人と逢うことなど考えていなかった杏奈は慌てる。

「駄目だよ!逢えない。私、明日、早番だし。今日ほんと疲れたし。
今大変なんだから。
すごい悪阻で殆どジュースしか飲めないんだから。
一日中気持ち悪くて死にそうなんだから。ミントの匂い嗅いで、やっと仕事してるんだから…」


「無理するなよ…」

麻人がなにが言いかけていたが、杏奈は電話を切った。

これ以上何か言ったら、泣いてしまいそうだった。




萌子の携帯に、和也の学校の教頭から留守電が入っていた。

学校に連絡してくれ、という。

担任ではなく、教頭からだということに萌子は嫌な予感がした。


喫茶店のパートの休憩中、萌子は店の外に出る。


留守電にメッセージが入っている以上、連絡しないわけにはいかない。

仕方なく学校に電話をして教頭を呼び出す。


電話口に出た教頭は、和也の体調を尋ねたあと、萌子に言った。


「二年三組の赤井留美さんが退学されましてね。
それでちょっとお伺いしたいことがあるんですが。」

留美が退学…萌子は初耳だった。
動悸がした。

「なんでしょう?」

「赤井さんと和也君がお付き合いされていて、その、赤井さんが妊娠されたとかって話があるんですよ。
今は噂の段階ですが、こういう話は風紀上、良くないんですね。学校としてもほっておけないんですよ。和也くんは今、お家の方におられるんですか?」

「あの…和也は。」

思いがけない質問に萌子はしどろもどろになる。

「ちょっと家の事情がありまして。
電話ではちょっと…」

「そうですか。では、近いうちに学校へいらして下さい。
出来れば和也くんも一緒に。」

「わかりました。」

電話を切ったあとも動悸が収まらなかった。


教頭のあの口ぶりでは、和也はただでは済まないかもしれない。

せっかく頑張って公立の進学校に入ったのに。


学年でも常に上位十位内に入る優秀な成績の和也が退学になってしまう。

萌子が大嫌いな数学が得意科目の和也が。将来を楽しみにしていたのに。

萌子は涙ぐんだ。

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