バージニティVirginity
ちらちらと自分の方を見ていることに気付いた若い父親が、玲に視線を向けた。

一瞬、目があってしまい、玲は慌てて目をそらした。

玲が視線を外しても、その若い父親は玲の方を見ていた。


気を悪くしたのかな、と思ったが、ふと、自分が結婚指輪をしているのに、佳孝はしていないのことに気がついた。


「私達のことを不倫カップルだと
思ってるのかも…」

好奇の目で見られるのが嫌だった。


玲は、テーブルの下で、自分の左手薬指から結婚指輪を引き抜いた。

そして椅子の背に置いた手提げ袋から、化粧ポーチ取り出すとその中に指輪を入れた。

佳孝はテレビに見入っていて、玲が指輪を外したことに気付かない。


佳孝との会話は少ない、と玲は思う。
結婚して5年も経てば仕方ないのかもしれない。

毎年、お互いの誕生日も結婚記念日も形にして祝う。

たまには旅行も行く。
時々愛し合う。

だからといって、円満な訳ではなかった。


お互い、本音を隠している。


自分の秘密を隠す為に、相手の秘密にも触れない。

それで、それらは相殺され、バランスを保つかのように。


玲は、薬指に残るかすかな指環の白い跡を見ながら、佳孝との夫婦仲は良くもなく悪くもなく『普通』だと思った。






食事を終え、一旦部屋に戻った玲と佳孝は温泉に入ることにした。

「じゃあ、1時間後にここでね」

女湯、男湯と書かれた暖簾の前で
玲が言い、二人は別々に別れた。


脱衣所に入り、佳孝がいなくなったところで、早速、玲は手提げから携帯を取り出し、開いた。


豊と金井サトルからメール着信があった。

豊のメールを開いた。

[お疲れさん。楽しんでる?
なんか嫉妬しちゃうな〜
俺、今夜、夜勤だよ。
しかも看護師二人しかいないんだけど。
(泣)急患がないことを祈ってくれ。
同僚にいいスパがあるって教えてもらったよ。ランチも美味しかったって。
今度行こうよ!]


豊には、夫婦で熱海に行く、とメールで伝えてあった。

豊はどこか女性的なところがあり、玲は時々、友達といるような気分になった。メールにも絵文字を多用する。

次に玲は、サトルのメールを読んだ。

サトルとは、前に待ち伏せされた夜、アドレス交換した。
それから度々、メールが来るようになっていた。

[サトルだよ。仕事終わったよ。
飯、どうしようかな〜作るの面倒だから、コンビニでなんか買うことにするよ。玲に逢いたい。]

4月から損保会社のSEとして働き始めたサトルのメールは、他愛ない日常の報告に最後はいつも玲に逢いたい、と書いてきた。

サトルは半年も焦らされながらも、玲との逢瀬を期待している。

ラウンジでは、ほとんど会話もしたことがなかったし、正直いって、そんなに執着される覚えはなかった。

前にメールでサトルは、俺は甘えん坊だから、玲みたいな人がいい、と書いてきた。

「甘えん坊ね…」

玲は、豊とサトルに相づちの様な短いメールを返信すると急いで、浴衣の帯をといた。

温泉から出たら、佳孝とカラオケルームに行こうと約束をしていた。

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