HAPPY CLOVER 2-ないしょの関係-
「ではお待ちかねのテストを返します」

「えー、もう!?」

 教師の声が聞こえなくなるほどのざわめきがクラス中に広がった。一番後ろの席だから先生の言葉が俺には断片的にしか聞こえてこない。何となくわかったのは全体的に出来があまりよくなかったということだ。

 舞は珍しく頬杖をついていた。両方の手のひらに顎を乗せて考え事をしているようだった。あれから全く俺を見ようとしない。舞の頑固なところは嫌いではないが、場合によっては面倒だったりもする。

 テストは出席番号順に返却されるので、俺のほうが先に戻ってきた。現代文は特にひねった問題もなく、先生が説明したとおりの解答を書けばよいものだった。文章題で少し減点されたが、特に大きな間違いはなく妥当な点数だ。

「うっわー、清水は98点!? 人間じゃねぇ……」

 田中がわざわざ後ろまでやって来て、俺の答案用紙を手に取った。隣で舞がピクッと反応する。

「田中は何点だった?」

「バカ、俺の点数はトップシークレットなんだよ」

 田中の答案用紙を取り上げようとしたら、軽快に身を翻して自分の席に帰っていった。他人の点数を大々的に公表しておきながら自分の点数は秘密なんて卑怯だが、実は俺も田中の点数はどうでもいい。

 壇上で教師が女子の名前を読み上げ始めた。舞は大きくため息をつく。名前が呼ばれるとトボトボと歩いて先生の前に進んだ。

 先生が笑顔で舞に語りかけている。舞はうつむいて唇を噛み、すぐに回れ右をして足早に教室の後方へと戻ってきた。

「どうだった?」

「聞かないでください」

 冷たい声の後、答案用紙は手早く折り畳まれ、舞の鞄の中に消える。そして本人は何もなかったようにせわしなく教科書をめくった。放っておいたほうがいいのだろうけど、何も言わずに黙っているのは俺が辛い。

「現代文は得意だよね?」

 途端にキッと睨まれた。眼鏡の奥の目は完全に座っている。やはりこういうときは放っておくべきだな、と声を掛けたことをほんの少し後悔した。

「現代文は好きですが、得意とは言えない点数でした」

 現代文は舞の一番得意な科目のはずなのに、得意とは言えない点数だったというのはどういうことだ。そりゃ先生も平均点は低めだったと言っていたので難易度は高かったのだろう。でも答案用紙をさっさと片付けたところを見ると、点数はそれ以上に悪かったようだ。

 ――ということは。

 俺はスッと舞に身を寄せた。

「俺のことばっかり考えていて勉強に身が入らなかった?」

「違います!」

 突然、俺の腕はものすごい力で押し戻される。舞の眉間には深い皺が刻まれていた。

「正直に言ってもいいのに」

「断じて違います!」

 むきになってそう言った舞の顔が真っ赤だ。ほとんど冗談で言ったのだが図星だったらしい。こみ上げてくる笑いを何とか堪えて、もう一度舞の腕に触れる手前まで急接近する。

「ホント素直じゃないな」

「違うって言ってるでしょ!?」

「じゃあ何点だったか教えてよ」

「絶対嫌です。98点の人に私の気持ちなんかわかるわけない」

 さすがの俺も少し傷ついた。

 でも舞の言うとおりだ。もし立場が逆だったら俺だって同じように言うだろう。

「ごめん」

 ちょっとやりすぎたと反省しながら背筋を伸ばして椅子に座り直す。実際、高校二年生というのは大事な時期だ。それに小テストとは違って、期末考査の点数は今後に大きく影響する。

 舞は顔を背けてため息をついた。そのため息ときたら、やるせなさが溢れていて、俺まで切ない気持ちになる。

 ――なーんかいい方法ないか?

 俺と付き合うことで舞の成績が下がっていくというのは非常によろしくない。舞の成績が下がり、それが俺のせいだとなると、結論として俺と別れるという話が持ち上がるはずだ。これは絶対に避けなければならない。

 それに俺と付き合って成績が下がるなんて、俺のプライドが断固許さない。俺と付き合うことで成績も上がり、学校生活も楽しくなり、これ以上ないくらい幸せになるというのが高校生カップルとして本来あるべき姿じゃないか。

 ――そういえばもうすぐ夏休みだな。

 突然、いいことを思いついた。俺は舞のシャツの袖を軽く引っ張る。

「ねぇ、俺、めちゃくちゃいいこと思いついたんだけど」

 隣から冷ややかな視線が槍のように飛んできて俺に突き刺さった。だが、かまわず続ける。

「夏休み、一緒に予備校行かない?」

 舞の目が眼鏡の奥で大きく見開かれた。

「予備校?」

「うん。現役生用の講座あるから、どう?」

 これには興味を示したらしく、舞は難しい顔で考え込んでいる。しばらくして首を傾げながら口を開いた。

「行ってみたいような気もするけど、予備校ってことはS市まで通うんでしょ?」

「うん。そうだよ」

「ちょっと大変だし、お金もかかるから、親に相談してみないと……」

 まぁ、それはそうだ。でも興味を示してくれたのはいい傾向だと思う。

「じゃあ調べておくね」

「あ、あの、でも私、今まで塾とか予備校とか一度も行ったことないんだけど……」

 舞は急におどおどし始めた。その様子がかわいいので、ここはどうにかして予備校に連れて行ってやりたいと思う。

「俺と一緒なら大丈夫」

「うん……」

 心もとない返事だが、舞もその気になってきたようだ。うんうん、と頷いていると急に先生が俺の名前を呼んだ。

「清水、それに高橋。お前たち二人はずっと喋っていたな。次はきちんと話を聞くように。じゃあ終わります」

 日直が「起立、礼」とやる気のなさそうな声で言うと、机と椅子がガタガタとうるさく鳴り、チャイムと同時にクラスメイトが一斉に動き出した。

「注意されちゃった」

 二人一緒に注意されたのが嬉しくておどけて言うと、舞は呆れたようにため息をつく。

「誰のせいですか」

「……俺?」

「私じゃないことは確かです」

「いや、高橋さんが悪い」

「なんで私が……」

 舞が俺を睨みつけたそのとき、廊下から派手な音が聞こえてきた。人と人がぶつかり合う鈍い嫌な音だ。すぐに女子の悲鳴のような声や男子の太い声が飛び交う。

「おい、こんなところでやめろ!」

「うるせぇ! コイツ、ムカつくんだよっ!」

「……んだ? やんのか、コラァ!」

 野次馬根性丸出しで田中が廊下に飛び出していった。声から推察すると隣のクラスの野球部の男子と別のクラスのラグビー部の男子がケンカを始めたようだ。この二人は以前から顔を突き合わせるたび険悪なムードを漂わせていたが、何かの弾みでついに取っ組み合いになったらしい。

 二人ともスポーツマンとしては体格に恵まれていた。特にラグビー部のほうは胸板の厚みが尋常じゃない。鎧でもつけているのかと思うような分厚い胸で、彼に本気で抱き締められたらきっと窒息するだろう。腕の筋肉だって相当なものだ。俺は女じゃないが、生まれ変わってもヤツの彼女にだけはなりたくないと思う。

「なんでしょう?」

「ケンカしてるみたい。田中が見に行ってるから後で報告してくれるよ」

 舞は眉をひそめて廊下のほうを見た。

 途端に意味不明な罵声が廊下に響き、ゴツッという音とともに女子らの金切り声が耳をつんざく。そして二人が揉み合ってウチのクラスのほうへ勢いよく移動して来た。

「うわっ!」

 口に手を当てて舞が目を背ける。野球部の男子の口からだらだらと血が流れていた。口内が切れたか、歯が折れたか、だ。俺は小さく嘆息を漏らす。見たいわけじゃないのに、ガラスの向こうでケンカしている男同士の姿に目が釘付けだった。

「お前ら、いい加減にしろ!」

 野球部とラグビー部の数人が二人の間に割って入ったが、凶暴なラグビー部の男は仲間たちに羽交い絞めにされても足をバタつかせ、仲裁に入った連中を払い飛ばす。そして最後に憤怒の形相で持て余している残虐性を手近なものに爆発させた。



 ダンッ!



 金属が凹む音がした。
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