キスでさよなら~マジョの恋
「ビジョっていうより、マジョだよな」
 高校生の頃、そうからかわれたことが、いまだに忘れられない。
「美女木 美紀」。自分の名前を好きだと思ったことは、一度もない。「美」が二つも入った名前のわりに、ぱっとしない容姿で、名前を言うたびによく笑われた。
 真っ黒な髪は生まれつきの天然パーマ。のばせば多少はましかと思ったのに、きつく結んでもワックスで固めても、二限目にはすでにあちこちぴょんぴょん立っているしまつ。幼稚園のころからメガネをかけるくらい視力も低く、黒縁のぶあついメガネがなければ、なにもみえない。肌が弱くて、やけるとすぐ黒ずむ。
 浅黒い肌で背が小さく、メガネをかけた天パの女の子は、おせじにもきれいだとは言えなかった。
 この上、性格が内気とくれば、ばかにされても言い返すこともできず、かといって笑われているのに一緒になって薄ら笑いをするのもいやだった。
 静かな図書室の奥の奥、狭い二人掛けの閲覧席が定位置で、そこに座って本を読むときだけが、ほっとできたのだ。
 奥の棚には誰も開かないような古い全集や古典が、うっすらほこりをかぶっていて、そうした誰も手に取らないような本を取りだして開いてみるのが好きだった。
「もうすぐここ、閉めるけど・・・・・・」
 小さな文字がぎっしりつまった古い本を眺めていたある日、ふと声がかかった。
「それ、おもしろい?」
 顔を上げると、背の高い人がこちらを見下ろしていた。窓からさしこむ夕暮れの光が、その人の笑顔をやさしく照らしていた。
「じゃましてごめん。それを手に取る人がいるなんて、珍しくて」
 三年の城田学は、図書委員だった。一年生に親しく声をかけるほど気さくな城田は、美紀が日本の古典が好きだと知ると、目を輝かせた。
 古事記から、万葉集、源氏物語、風姿花伝。
 一人でひっそり楽しんでいた本のことを、口に出して語るなんて美紀には初めてのことだった。向かいの席に座って、うなずきながら話を聞いてくれる城田に、美紀はすぐに恋をした。
 城田はけっして美紀をマジョさんなんて呼ばなかった。バスケ部のエースにして、女子からの人気も高い彼を、図書室で独占できるのが心からうれしく、誇らしかった。
 美紀も彼の前では、心から笑うことができたのだ。

「マジョのやつさ、調子に乗ってるんじゃねえの」
 小さなささやきが耳に入ったとき、美紀は思わず手を止めた。城田と廊下で話しているところを、数人の女子に見られた次の日だった。女子の視線が冷たいのはいつものことだったが、バスケ部の男子もその話を聞きつけたのだ。
 あこがれの先輩が、美紀と面識があるということすら信じられなかったにちがいない。
「間違いだろ。城田先輩が、あんなのと?」
「先輩、笑ってたって。あの先輩が。マジョが、魔法でもかけたんじゃね」
 あんなの。その言葉が、胸にささるようだった。
 美紀はごくんと息をのみ、逃げるように教室をでた。
 図書室に向かいかけて、美紀は足を止めた。城田は今日の当番だ。きっと、図書室にいるだろう。でも、これ以上一緒にいるところを誰かに見られたら、彼にも迷惑がかかるかもしれない。
 泣いてしまいそうだった。悲しいよりも、自分に腹が立った。どうして、堂々としていられないのだろう。美女木美紀でなにが悪い。名前も顔も、自分で選んで生まれてきたわけじゃないのに。とやかく言うクラスメイトも、こんなことですぐ泣く自分にも、腹が立つ。
 きびすを返してトイレに逃げ込もうとしたときだった。
 誰かとぶつかった。そのひょうしにメガネがずれて、抱えていた本が数冊ばたばたと落ちた。
「すいません」
 美紀の小さな声にかぶさるように、冷たい声がひびいた。
「いってえ。マジョさん、前、よく見てくれる?」
 かれたような男子の声だ。メガネを直そうとしたところ、ひょいと奪われた。ぼやける視界と、こみあげる涙。美紀は叫んだ。
「返して!」
「マジョが、吠えたぞ。呪われる」
 はやし立てる声と、せせら笑う声。投げ捨てられたメガネが、かしゃんと床のうえに落ちる音がした。つきとばされ、結んだ髪をつかまれた。
「マジョとチューしたい人ー!」
 この上なく残酷な、人を踏みにじって気にもとめない脳天気な声。美紀は胸ぐらをつかまれ、座り込みそうになったところを無理矢理立たされた。
 こんな子どもっぽいいじめが、自分の身にふりかかるなんて、信じられなかった。
「やめて」
 ぼやけた視界に、ぐいっと引き寄せられ、唇が触れあった。
 湿った、気持ちの悪い感触。
 それが、美紀のファーストキス。
 最悪の思い出だ。

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