哀しき血脈~紅い菊の伝説3~
『紅い菊』は小島と信の目の前で静かに美鈴に戻っていった。
 立て続けに起きた常識を越えた出来事を目の当たりにして、小島は言葉を失っていた。
 信はじっと美鈴を見つめている。
「信君、あなた…」
 美鈴は静かに佇む信に近づいていく。信の唇の端には相馬の体液が残っている。
「お姉ちゃん…」
 信は美鈴から目を伏せている。
「そうだよ、僕はヴァンパイアなんだ…」
 意を決したように信は言った。
 ヴァンパイアはかつて欧州全域に散らばり人に紛れてひっそりと暮らしていた。薔薇の花を育て、普段はその生気を吸い、必要最低限に人から血を吸って生きていた。彼らの特異な身体は月の満ち欠けに支配されており、新月と満月の時に多くの生命エネルギーを必要としたからだ。それでも人の生死を分けるほどの吸血はしなかった。せいぜい貧血を起こす程度であった。
 しかし、人間は彼ら異質な存在を許さなかった。村の平和のために彼ら異質な存在を敵視するようになり、彼らヴァンパイアを追い詰め、虐殺していった。ヴァンパイア達はそれを逃れるために世界中に散らばっていった。その一部がキリスト教の伝来とともに日本にやってきた。
 日本は暫くの間、彼らに安住の地を与えた。
 しかし、キリスト教徒の弾圧が彼らを追い詰めていった。そのときに使われた踏み絵はキリスト教徒を見分ける道具であるとともに、彼らヴァンパイアを燻り出す道具でもあった。踏み絵に描かれた十字架にかけられたキリスト像を彼らは踏むことが出来なかったためだ。
 これによって日本のヴァンパイアの数は激減した。
 信は残されたヴァンパイアの一人だった。
 彼は明治時代にこの世に生を受けた。だが、彼の両親は、彼が生まれて間もなく、人の手によって狩られてしまった。
 それ以来信は、彼が持つ能力の一つ、魔眼を使って自らの守護者を作り、生き延びてきた。今の母親である春海も守護者の一人だった。
 信はこれらのイメージを美鈴と小島の脳裏に送り込んでいた。だが、そのイメージは小島の影に隠れていた絵美の脳裏にも伝わった。
「遠山君…」
 小島の影から絵美が姿を現した。
 その瞳は涙で濡れていた。
「ばれちゃったね…」
 信は絵美を見つめて言った。
「僕が怖い?」
 絵美は震えていた。震えていたが、それでも首を横に振った。
「私、怖くない。だって遠山君は私を守ってくれたじゃない…」
 絵美がゆっくりと小島の影から信に近づいていく。
「私…、あなたが好きよ」
 ゆっくりと二人の距離が縮まっていく。
 そのとき、ドンッという音が響き、銀の銃弾が信の胸を貫いた。
 信の身体が一瞬大きくのけぞり、そして倒れ込んだ。
「遠山君!」
 絵美が倒れた信の身体に駆け寄り、抱きしめた。
 美鈴が銃声の方を向きその主を睨み付ける。静かに『紅い菊』に変わっていく。
 その先にはベレッタを構えた横尾がいた。
「遠山君」
 絵美の鳴き声が辺りに吸い込まれていく。
「いいんだよ、絵美ちゃん」
 信は苦しい息の中、絵美を見上げる。
「泣かないで…。お願いだから…」
 信の身体が末端から崩れていく。
 絵美の手から信の感触が薄れていく…。
「僕は何処にも行かないから…」
 信の顔がその輪郭を失っていく。
「僕も絵美ちゃんが好きだよ…」
 その言葉を最後に、信の身体は風に散った。
 絵美は失ってしまった信の身体を抱きしめて、泣いた。
 いつまでも、いつまでも、泣き続けた…。
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