ふたりぼっち兄弟―Restart―【BL寄り】

1.ごっこ遊び-兄-



【1】


 新生活は順調な滑り出しを切ったと我ながら思っている。
 努力した甲斐あって期限付きではあるけれど、シェルターを借りることができた。
 貯金を切り崩す生活ではあるけれど、バイト先に未だ籍は置いたまま。連絡を入れればいつだって戻れる。大学は休学届を出しているから大丈夫。
 一番頭を悩ませていた那智を部屋に繋ぐ行為も、那智自身が「いいよ」の一言で受け入れてくれた。

 上手くいっている。
 警察の巡回がうざかったり、取り巻く事件が未解決で、問題は山積みだけど、何もかも上手くいっている。大丈夫、だいじょうぶ、なんとかなる。

 そう分かっているはずなのに、最近の俺は夢見が悪い。

 悪夢を見ては夜明け前に目が覚める。
 悪夢はいつだって、ああ、いつだって誰にも見向きをされなかった夢。助けてもらえなかった夢。ひとりぼっちの夢。オトナに向かって助けてと泣きじゃくったのに、声を上げたのに、助けてもらえず、ひとりだと痛感したあの痛みを思い出す。

「……くそっ」

 今日も悪夢を見た俺は上体を起こすと、荒呼吸のままベッドサイドに放置した携帯を引っ掴む。
 4時半。起きるには早すぎる時間だ。震える手先を握り締め、額に手を当てる。早鐘のように鳴る鼓動は努めて無視した。

(……なんで今頃、こんな夢を見るんだ)

 悪夢から目覚めた俺はいつも孤独感に苛まれる。
 隣には最愛の家族が眠っている。チェーンでしっかり繋いで、俺から逃げられないようにしている。だからひとりじゃない。ひとりになるわけがないと分かっているのに、悪夢は俺の精神を蝕んでくる。
 ああ、さみしい。こわい。ひとりになりたくない。ひとりぼっちは嫌だ。
 足りない、ぬくもりが。愛情が。求められる気持ちが。何もかもが足りない。こわい。こわい。こわい。見向きもされなかったあの頃に戻りたくない。

 どうしてこんな気持ちに駆られてしまうのか。

(両親の呪縛が完全に解けていないせいだ。あいつらがいる限り、俺達に安らぎはない)

 実家を離れたことで、両親からの支配が完全に終わったと思っていたのに。
 度重なる事件のせいで俺は心の奥底で怯えている。ふたたび両親の支配が始まるんじゃないか、と。
 冗談じゃない。俺は二度とあいつらに服従する気はねえ。やられる側に回るつもりもねえ。黙ってやられるだけなんざ損するだけ。俺はやる側に回ると心に決めている。
 誰にも崩させない――俺達の暮らしも、俺達の理想も、俺達の世界も、ゼッタイに。

(嫌な寝汗を掻いた。風呂に行こう)

 湯船に浸からないと、早鐘のように鳴る鼓動を落ち着けることはできない。
 俺は風呂場に向かうと軽く、浴槽を洗って湯を張り、それがたまるのを待つ。
 お湯がたまったら、迷わずチェーンに手を掛け、それぞれの南京錠を解除。弟を連れて風呂場へ向かった。運ばれる振動で起きたのか、那智が寝ぼけ眼をこっちに向けてきたが、俺の頭の中は風呂でいっぱいだった。お湯につかりたい、嫌な寝汗を流したい、そればかりが脳内を占める。

「え。ちょ、わっ、兄さま!」

 覚醒した那智がタンマ、ちょっとタンマ、と身振り手振りで示していたが無視。
 俺は那智を抱えたまま、さっさと浴槽に浸かる。狭い浴槽から湯があふれ出した。あったけぇ。悪夢で流した寝汗が全部流れていく。気持ちが落ち着いていく。
 ただ体がちょっと重たい。なんでだろう。

「那智、あったかいな」

 話題を振ると、那智が物言いたげな眼を向けた後、小さな吐息をついて苦笑を漏らす。

「そうですね。だけどお風呂は寝間着で入るもんじゃないです。ドッキリかと思いましたよ」
「ドッキリ?」
「なんでもないです。あーあ、おれも兄さまもびしょびしょ。おれ、右太ももを怪我しているのにラップなしで、お風呂にドボンするなんて」

 那智の言っている言葉が分からず首を傾げると、「後で包帯巻き直してくださいね」と、言って那智が俺に寄り掛かってくる。
 それが嬉しくて、俺は後ろから那智に腕を回すと、肩口に額をのせる。

「那智。少しだけ、甘えさせてほしい。すこしだけ……」
「兄さま、おれはここにいます。何をしたっていいんですよ。我慢しないで」
「んっ」
「何をしたいです?」
「寝汗を流したい。お湯につかりたい」
「じゃあ、肩までお湯につからないといけませんね。うーん、ただ狭い、すごくお風呂狭い……兄さまの体大きいもんなぁ。ふたりで入るのはちょっと無理があったかもしれない」
「やだ。いっしょがいい」

「とりあえずお湯を足しましょ。兄さま、蛇口をひねってください。あ、違う! それお水っ、つめたっ! 兄さま、お湯、お湯を入れてくださいってば!」

 それこそ俺が正気に戻るまで、いや、元々正気だったか……とにもかくにも気が済むまで風呂に付き合ってくれた。午前六時過ぎの話だった。

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