ふたりぼっち兄弟―Restart―【BL寄り】


「――うそ。あんたが那智くんを連れて来るなんて」


 午前十時半。
 俺は那智を連れて外出をしていた。
 目的は手を組んでいる福島朱美と落ち合うため。
 利害関係にある俺達はメッセージアプリで予定を決め、今日の十時半に会う約束をしていた。那智が退院して初めての顔合わせ。場所は警察署近くのバス停だった。

 福島は俺の後ろに隠れている那智を凝視していた。
 俺が待ち合わせ場所に弟を連れて来るなんて予想していなかった様子。

 俺だって待ち合わせ場所に那智を連れて来るつもりはなかったし、福島と会わせる気なんて毛先もなかったが……仕方がねえじゃねえか。今日は心理療法(セラピー)がある日だったんだから。

 まじすっかり忘れていたぜ。心理療法(セラピー)のこと。

 キャンセルしても良かったんだが、心理療法(セラピー)をサボると担当医から心配の電話を寄越させる。最悪、警察と連携して家に来る可能性がある。それはあまりにもだるい。
 かといって、那智一人で病院に行かせるつもりもねえ。送り迎えは俺がやると決めている。
 那智を病院に送ってから福島と落ち合うことも考えたが、あれこれ考えている間に時間がきて面倒になっちまった。

 消去法の結果、那智を待ち合わせ場所に連れて来るしかなかった。

 まあ、丁度いいと思っている。
 福島は那智の見舞いに来たがっていた。
 誘拐事件のせいでおじゃんになったが、未だに会わせろとうるさかったから、これで約束は果たせただろう。腹が立つほど会わせるのは嫌だけどな。嫌だけどな。

 子どもじみた感情を抱く俺をよそに、福島はキャップを深くかぶっている那智と視線を合わせ、「こんにちは」と挨拶。

 那智は何度か口を動かした後、しかめっ面を作り、俺の服をぎゅっと握り締めた。
 特定の人間にしか声が出せないことに恨めしい気持ちを抱いているようだ。聞いている限り、かすれた音しか出ていなかった。
 それは心意的なものだと那智本人も、俺自身も、医者も、十二分に分かっている。

 どうすれば声が出るか、俺はなんとなく分かっていた。
 たぶん那智は気持ちばかり前に出て、他人に対してどうやって声を出していけばいいのか、心と頭が追いついていない。気が焦っている状態だ。
 つまりパニック状態になっている。
 心身をかみ合わせるためにリラックスさせてやれば、顔見知りの福島相手くらいなら声が出ると思う。

 けど、俺は那智の頭に手を置いて「無理して声を出すな」と助言する。

「前より症状は改善されているからこそ、焦りは禁物だと兄さまは思うぞ」

 言いたいことはスケッチブックで伝えればいい。焦っても声は出ない。益田が例外なだけだ、と微笑んでやると、那智は諦めたように頷いた。
 トートバッグから筆談用のスケッチブックを出すと、お気に入りのボールペンで『こんにちは』と書き始める。

 性根から腐り切った兄貴だと思う。
 那智の悩みをあえて解決してやらねえんだから。

 だけど、愉悦がすげぇのも事実。
 益田と会話ができるようになって、ちっとも面白くねえと思っていたんだよな。やっぱり那智はこうでなくっちゃな。益田相手にもまた声が出なくならねえかな。
 那智が会話できる人間は俺だけでいいんだ。俺だけで。

「下川。あんた、顔に出ているわよ」
「あん?」

 どうやら正直な顔をしていたようで、福島が意味深長な眼で毒づいた。
 那智に聞こえない程度に「ド変態ブラコン」と言葉を投げられる。どう言われても結構だ。那智を特別視しているお前に俺も遠慮なんてしねえよ。 

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