泡沫(うたかた)の虹
清兵衛のその声に嘉兵衛も手代たちも大きく頷く。そして、その足で嘉兵衛は夜の闇の中、井筒屋の寮へ向かう道をひた走りに走っていた。


◇◆◇◆◇


井筒屋が上を下への騒ぎになっている。そのことは外部の者が知る由もないこと。そして、それはここ井筒屋の所有する寮にもいえることだった。

その寮の一角。誰にも気づかれないように忍び込んだ糸と弥平次は、そこで互いの思いを確かめあうように熱い時を過ごしていた。

「弥平次、慕うております……初めて会ったときから、ずっとあなたのことを想っておりました……」

糸の声が熱を帯び、艶っぽい響きをたたえている。その声に、弥平次は彼女の体をしっかりと抱きしめるだけ。

暗い部屋の中で、糸の着ている襦袢が艶めかしく浮き上がる。ゆっていた桃割れが崩れ、鹿の子がほどけているのも気にせずに、糸は弥平次の胸に体を預けていた。

「弥平次、あなたとこうなれて、わたしは本当に嬉しい。こんなに嬉しいことがあるなんて、思ってもいなかった」

頬をうっすらと染めながら、糸は甘い言葉を口にする。その彼女を抱きしめたままの弥平次も、それに応えるような甘い響きの声で囁きかけていた。

「わたしもです。お嬢さんとこうなれたことがどれほど嬉しいか。でも、わたしは……」

そう言いかける弥平次の口を糸の手が塞ぐ。その彼女の目はいつになく真剣で凄味を感じさせるもの。そんな糸の視線に、弥平次は縫いとられたかのように動くことができなくなっていた。

そして、そんな弥平次を見つめながら、糸はゆっくりと口を開く。

「弥平次、今のままだと、わたしたちは絶対に一緒になれない」

「お嬢さん……」

驚いたような弥平次の声に、糸は引きつった顔で言葉を続ける。

「だから……今は無理でも、次の世では一緒になれるようにして」

思い詰めたような糸の顔がそこにはある。それを見た弥平次も同じ思いがあったのだろう。大きく頷きながら持っていた紐で、彼女の手首と自分のそれをしっかりと結ぶ。そして、部屋にあった剃刀を持ち出すと糸の目をしっかりとみつめていた。

「次の世では必ず、比翼の鳥とも連理の枝ともなって、あなたと共に過ごしたい。この望み、叶えていただけますか」

「当り前だわ。わたしは弥平次じゃないと嫌なの。それ以外の人とは考えたくない。だから、早く。ひと思いにやってちょうだい」

その時、外から糸の名を叫ぶ声と、慌ただしい足音が聞こえてくる。それの意味するものが何なのか、二人にはよく分かっている。

このままでは、間違いなく引き離され、道行と心中を図ったとして罰を受けるのは間違いない。糸と弥平次はもう一度しっかりと抱きあうと、互いの手首を一気に切り裂いていた。

赤い水があたりを一気に染め上げる。そのまま、その水溜りの中に、二人は微笑みを浮かべながら、力なく倒れていた。



―完―
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