君がくれた詩
君がくれた詩(訂正中)
彼女の名前は詩織といった。
その名のごとく、彼女は詩を書くのが好きで、将来はプロの詩人になるのが夢だった。
僕は詩織が亡くなる直前まで書き続けた詩集を今でも大切に持っている。僕はその中の『君』という詩が好きだ。何度も何度も読み返した。その詩を読むたび、詩織と出会った頃のことを思い出す。
あれは高校二年の四月。
校庭の満開の桜は散りかけていた。
詩織とはクラス替えをして同じクラスになったばかりの時だった。僕はその日、部活動がなかったので授業が終わるとそのまま下校した。
しかし、帰宅してから忘れ物に気づき、学校に戻ったのだ。おそらく、教室には誰もいまいと思い、教室のドアを開けた。すると、窓際の席に白く端正な顔立ちの女子生徒が座っていたのだ。机に向かって何か書いている様子だったので、勉強でもしているのかと思い、気になりはしたが声をかけなかった。
目的の参考書は机の中に入っていた。それを鞄の中に入れると最後に彼女を一瞥して教室から立ち去ろうとした。
ドアの方に向かって歩き出そうとすると、背後で声がした。
「ねぇ」
不意をつかれたようになったが僕は振り向き、返事をした。
「何?」
「これ、読んでくれない」
彼女は僕に向かってノートを突き出してきた。彼女の腕はブレザーの上からでもわかるほど細く、華奢であった。しかし、僕を見つめる彼女の目には強い意志が感じられ、精気に満ちあふれていた。
僕はすっと彼女の方に歩み寄った。窓から吹く風が彼女の長い髪をなびかせている。その髪から微かにシャンプーの香りがするのだった。そして、僕は黙ってそのノートに書かれている文を読んだ。
『どこからか風が吹いてくる
いくつもの日々といくつもの季節を乗せて
幼い日の思い出と
色あせることのない
さびることのない思いを
どこへだっていける
でもどこにも止まっていられない
この思いを私からあなたへ』
僕が読んだのは表紙に書かれている詩だった。
「どう?」
彼女はどこか殊勝な顔つきで言った。
「うん、悪くないんじゃないかな。いや、いいと思うよ」
本当はもっと何か気の利いたことを言いたかったが、上手く言葉に出せなかった。それでも、彼女は満面の笑みで応えた。
「ありがとう、川村くん」
なぜか、彼女は僕の名前を覚えていた。
「えっと、君は…」
「ワジマシオリ」
「あっ、ワジマさんか」
どうりで一番後ろの席なわけである。
「シオリでいいよ」
「えっ」
「えっ、じゃなくて私名字で呼ばれるのあんまり好きじゃないんだ。そうだ、漢字書くね」
彼女はノートの余白に自分の名前を書き始めた。
『和島詩織』
さっき、彼女の詩を読んだ時は読むことに神経がいって気づかなかったが、こうして改めて彼女の書いた字をじっくり眺めていると習字のお手本のように綺麗な字であった。
「いい名前だね。詩人に相応しい名前だ。字も綺麗だし」
彼女は小さくふふっと笑った。
「この名に恥じないようにいつかプロの詩人になりたいなって思ってる。実際、なれるかわかんないけどね」
「なれるさ。きっと」
「うん、ありがとう。川村くんにそう言ってもらえるとなんだか本当になれる気がしてきた。じゃあ、これからよろしくね」
「よろしく」
これが、僕と詩織との出会いだった。
そして、翌日から僕は彼女のことを詩織と呼ぶようになった。最初はなんだか僕の方がぎこちなかったが、二人がお互いを深く思い合うようになるのに長い時間を要しなかった。ほどなくして、僕らは恋人という関係になっていた。
ちなみに僕は彼女と付き合うようになって自分のことを下の名前で呼んで欲しいと言ったのだが「ううん、川村くんでいいの」といって絶対に譲らなかった。自分の名前は下で呼んで欲しいと言っていたのに妙なものである。しかし、付き合ううちにそんなことはどうでもよくなっていった。
僕の休日は毎週、部活の練習やら遠征試合やらで忙しかった。そのため、詩織と過ごせる時間は限られていた。それでも、彼女が不平や不満を漏らしたことは一度としてなかった。
放課後は僕の部活が終わるまで教室でずっと詩の創作をしていた。そして、僕が部活を終えて教室に行くと必ずその日できた詩を新鮮パックでお届けしてくれるのだった。
もちろん、帰りは一緒に駅まで帰った。駅まで十分の道のりが僕にとってもおそらく彼女にとっても幸せだったことだろう。
しかし、そんな僕らの平穏で幸せな日々は彼女の病によってむしり取られてしまうのだった。
それは高校二年の十月。
僕が彼女と出会って半年の頃だった。
二人の思い出はまだこれからという時であった。
昨日まで「創作の秋だね」と言いながら教室で詩を書いていた彼女の姿が病院のベッドに移っていた。最初は場所が変わっただけで、見舞いに行っても必ず学校にいた頃と同じ笑顔を見せてくれた。たまに冗談を言ったり、ふざけあったりしていたくらいだ。このまま彼女は回復するのではないかという淡い期待のようなものを抱いていた。詩織の病気が治ったら、来年の夏は二人で海に行こうという約束までしていた。
しかし、詩織の病状は治癒に向かうどころか悪化するばかりで、入院して数ヵ月も経ないうちに起き上がるのもやっとの状態になってしまったのだ。病室が大部屋から個室に移ったのもこの頃である。
季節もいつの間にか秋から冬に変わっていた。東京の中でも僕らの住んでいる町は田舎なので、朝晩は凍りつくような寒さになっていた。そろそろここにも雪が降る。そんな予感がしていた。
そんな冬の日の夕暮れ時、僕は部活がなかったため詩織のいる病室に早めに見舞いに行ったのである。彼女が入院している病院は学校からバスに乗って約三十分のところにあったが、僕がチャリをとばしていけば、同じくらいの時間で着く。冬は寒いがどうせ学校までチャリで行くのだから同じことだと思い、北風の吹く道を詩織のいる病院に向けて疾走していくのだった。
七階の個室。
窓からは富士山と夕日が一望できる。
彼女は窓の方を向いて横になっていた。僕は寝ているのだろうと思い、売店で買った詩織の好きなアップルティーを冷蔵庫にしまって帰ろうとした。その時、細く白い手が力なく僕の腕に触れた。
「行かないで…」
それは蚊の鳴くような声だった。
「起きてたんだ」
「気づいてよ」
「いや、目をつむってたからてっきり」
「最近、目をつむっても眠れないの。苦しい」
彼女は悲しそうな声で言った。
「薬が効かないの?」
「うん」
「……そっか」
僕は返答に窮してしまった挙げ句、曖昧な返事しかできなかった。いつものことであるが、この時ばかりはそんな自分を情けなく思うのであった。
その時、小さな冷蔵庫の上に束になって置いてある詩織のノートに目がいった。僕は詩織に許可を得てその中の数冊を読ませてもらった。詩織のノートを読むのは久々だった。
そして、中でも一番新しいとみられるノートのページの日付を見た。
『十一月二十五日(月)』
それはちょうど三週間前の日付であった。そこから先は白紙になっている。
「書けなくなっちゃた」
その時、僕の頭の中であることが閃いたのである。さっきまでの頭の中の凝りが解れた気がした。
「じゃあ、俺が読み聞かせすればいいんじゃないかな」
「何を?」
「もちろん、本をだよ」
「子供みたい」
「まだ、未成年は子供さ。それとも、子供が子供に本を読み聞かせるのは変か」
「でも、桃太郎とかはやめてよ」
「うん」
「じゃあ、何?」
ここからが、僕の最も主張したいことだった。
「詩織が書いた詩さ」
「でも、それ本じゃないじゃん」
詩織はふふっと笑った。
「ばっか、これは世界に一つしかない立派な本じゃないか」
そう言って、さっきまで読んでいた詩織のノートを誇らしげに掲げた。
「やだよ、恥ずかしい」
「あんだけ俺に読ませてたくせに」
すると、詩織は降参したのか、僕の案を承諾した。ただし、読むときは僕のでかい声を四分の一に抑えて欲しいというものであった。
もちろん、これで彼女の不眠が完全に治るわけではなく、病気自体が治ることなどなおさらなかった。しかし、僕は詩織が眠りにつくまで決して帰らなかった。それが、少しでも彼女の助けになっていればいいと思っていた。
だが、そんな僕らの日々も終焉を向かえていた。
僕が学校に行っている間に詩織の容態が急変したらしい。僕が病院についた頃には詩織はもう還らぬ人となっていた。
せめて、最期の言葉くらい交わしたかった。
看取ってあげたかった。
でも、そんな僕を心配させないほど、詩織の顔は綺麗で頬は桜色に染まっていた。
桜舞い散る季節に出会ったあの頃の詩織の顔が僕の脳裏をかすめた。そして、彼女の声が鳴り響いていた。しばらくの間、その声は鳴り止まなかった。
詩織の通夜は小さな斎場で行われたが、クラスメイトは勿論のこと同学年の生徒が大勢弔問に訪れたため場内は沢山の人で埋めつくされた。その翌日の告別式も最後まで無事に執り行われた。詩織は沢山の人に別れを惜しまれながら旅立っていった。
僕はそれから数ヵ月の間、空虚感と寂しさで潰れそうになった。
その間に何度も詩織の後を追うことを考えた。少し前に読んだ森鴎外の小説に殉死のことが書かれていた。僕の場合はただの後追い自殺になるのだろうかと思い、実際に刃先を腹に当てることまでした。
しかし、その腹はついぞ裂かれることはなかった。
僕にそこまでの勇気はなかった。
でも、詩織のいない世界でこれからどうやって生きていけばいいのかわからなかった。生きているのが辛くて仕方なかった。
そんな悲しみに明け暮れた日々を過ごしている僕に一筋の光が射した。ある日、詩織のお母さんから詩織の詩集を譲り受けたのである。
「これで全部だと思う。あの子が小学校の頃から書きためてた詩集なの。嵩張るかもしれないけどどうかもらってやって。これが詩織の遺言だから。きっと、あの子も喜んでくれるわ」
僕の母より五歳年下だという詩織のお母さんは目に涙を浮かべながらも僕に対して気丈に振る舞っているようにみえた。
僕が詩織のお母さんから譲り受けた詩織の詩集はいつも彼女から部活の帰りに読ませてもらっていた詩も含めると相当な数になるだろう。
小学校の低学年で使用する自由帳から始まり、大学ノートに至るまで、表紙の色もカラフルなものからシンプルなものまで様々。ここに詩織の生きていた証が凝縮されていた。いや、この中で今も詩織の魂は生き続けているのだと思った。
僕はさっそく自分の部屋で譲り受けた詩集を目に穴が開くほど読んだ。
そして、ようやくいつまでもくよくよしていられないという気になったのである。過去に書かれた詩織の詩集をすべて読んでから僕の心は変わった。
これは僕とともに未来を生きる詩織からのメッセージなのだと。
その中でも僕のお気に入りは『君』という短い文で書かれた詩である。
『君はね
君のままでいいんだよ
君らしくいれば それが私の一番好きな君』
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