ふるさとの抵抗~紅い菊の伝説4~
第一章

 昼休み、教室の中はざわめいている。午後の授業が始まるまでまだ暫く間がある。
 鏡美鈴はいつものようにぼんやりと外を眺めていた。長かった夏が終わり、吹き付ける風にも少し冷ややかなものが混じるようになってきた。こうしてぼんやりと眺めていると次の季節の訪れが見えるような気がしていた。
 仲間達は相変わらず佐伯佐枝の元に集まっている。榊啓介、杉山義男、大野孝、和田美佳の四人だ。噂好きの佐枝はその性質のため情報を多く持っている。彼らはそれに集まっていると言ってもいいくらいだった。
「おい、鏡。何ぼんやりしているんだ?」
 不意に啓介が声をかけてきた。
「そうだぞ、お前最近付き合い悪いぞ」
 義男がそれに続く。
 確かに美鈴は彼らと距離を置こうとしていた。ある日突然、自分の中に入り込んできた『紅い菊』という存在とそれに呼応するように起きた不可思議な事件。美鈴にはそれらが自分を中心にして起きているような気がしてきたのだ。勿論、それは単なる偶然なのかもしれない。思い過ごしなのかもしれない。けれども、もしそれが本当であるならば、いつかは彼らを巻き込んでしまうかもしれない。美鈴はそう考えて距離を置こうとしていた。
 だが、彼らがそれを知るはずはなかった。いつものように美鈴との付き合いをやめようとはしない。それはそれでいいのだろう。無理矢理それをしようとすれば、どこかに歪みが生じる。だからあくまでも自然に離れていくのがいいのだ。美鈴はそう思っていた。
「ねえ、こんな噂知っている?」
 何かに気づいたように佐枝が口を開いた。
 美鈴も知らないうちに耳を向ける。
「夕方になって、『とおりゃんせ』の歌を聴くと、その人が消えちゃうっていうの」
「あ、それなら俺も知っている。この辺の小学生の間で流行っている奴だろう?」
 義男がそれに続いた。
 佐枝と義男は去年の冬から付き合っていた。だから情報が共有されていてもおかしくはなかった。
 それに彼女たちは二人だけだいる時間も多くなった。付き合いが悪くなったのは美鈴よりも佐枝達の方だ。美鈴はそう思った。
「それ、本当のことなの?」
 美佳が猜疑心を持った目で佐枝を見つめた。
「本当よ。私の妹の友達が見たんだって」
「でも、それっておかしくないか?」
 孝が割ってはいる。
「仮にその子が見ていたとして、その子にも聞こえていたんじゃないか?」
「なにが?」
「『とおりゃんせ』の歌」
 一同は孝の言おうとしていることに気がついた。
 そう、『とおりゃんせ』の歌を聴いて消えた子供を見ていたのならば、その見ていた子にも『とおりゃんせ』は聞こえていたはずだった。ならばその子も消えていたはずなのに、何故その子は消えなかったのか。消えなかったからこそ、この噂を流せたのだ。だからこの話は矛盾している。こうした噂は得てしてそんなものである。
「なによ、台無しじゃないの」
 佐枝は大野を睨み付ける。頬を膨らませて両手を頭の上で組んでいた。
「そうね、大野君は理屈屋だから」
 美佳がすまなそうに言う。
「そうよ、それなのに何であんた達くっついているのよ」
 佐枝の矛先が美佳に向かう。
「なんでそうなるの?大野君が勝手にくっついてくるのよ」
 美佳は慌てて否定する。
「そうなの?案外あんた達お似合いだと思うんだけど』
「やめてよ、私はこんな理屈屋好きじゃないわ」
 美佳の言うことはある意味で本当だった。彼女には密かに想っている男子がいた。だがその男子にはずっと傍にいる女子がいた。だから彼女はその思いを口にすることなくじっと胸の底に秘めているのだ。
「そういう言い方はないよな」
 義男が孝の肩に腕を回す。孝は下を向いて苦笑いをしている。
「でも、気になるわね。その噂」
 それまで彼らの話を黙って聞いていた美鈴が言った。
「何が気になるんだ?」
 啓介がその一言に興味を示した。
「だってそうでしょう。その噂はともかくとして、このところ子供がいなくなっているのは事実よ」
 美鈴の言うとおりこの美しが丘では子供の行方不明が続いていた。この一ヶ月の間に三人の子供が消えていた。それも決まって夕方、誰に気づかれるともなくひっそりと…。
 だからこんな噂が流されるのも無理はないのだ。
 この子供達には何の共通点もなかった。強いて言えば美しが丘という街に住んでいるという程度であった。年齢も七歳、五歳、三歳とまちまちだった。子供達は今も見つかっていない。
「そうなのよねぇ、だから小学校は集団登校をやっているらしいし」
 佐枝が言った。妹の絵美のことを気にかけているらしい。
 美鈴は無理もないと思った。この子供の消失事件以降、付近の小さな子供を持つ家庭は神経が張りつめていた。警察も捜査しているようなのだが一向に進展はないらしい。故に街には言いようのない雰囲気が漂っている。美鈴はそれを肌で感じていた。
 また何か起きようとしているのだろうか。いや既に起きているのか。
 美鈴は暗い闇が近づいてくるのを感じていた。
< 2 / 66 >

この作品をシェア

pagetop