ふるさとの抵抗~紅い菊の伝説4~
 それは再び地上の空気を吸っていた。
 排気ガスや人の臭いがする決して良い空気とはいえなかったが、ほんの少し緑の匂いもしていた。そこはそれにとっては見覚えのない木々の中だった。遠くから聞こえてくる街の喧騒から、それが知らない街ではないことを物語っていたが、いかんせんそれはこの場所に来たことはなかった。
 きっと意識のない時に何者かに連れてこられたのだろう。
 あの老いた女だろうか、それは心の中でそう呟いた。
 そのとき、それの頭の中にあの声がした。
『気分はどうだ?』
 それはその声に応える言葉を知らなかった。元々それにとっては言葉などというものは必要のないものだった。感情を表現できる幾つかの声の調子さえあればよかったのだ。
 それは閉ざされた中から解放された喜びを思った。
『そうか、それはよかった』
 それの感情が伝わったのだろう、声は安心したように言った。
『我らの願いを叶えてくれるか?』
 声は約束を確認するように言う。
 それは、忘れてはいないことを声に伝える。
『ならば、我らの力を与えよう。我らと同化しよう』
 声はそう言った。
 その直後、それはこれまでに感じたことのない感情を感じた。自分たちの住み処が奪われていく悲しさ、ふるさとが壊されていく儚さ、そしてこれらの行為を何の躊躇いもなく実行していく人間たちのイメージ、そして彼らに対する強い憎しみ…。
 声の思いはとても強いものだった。
 声は時間をかけてそれの中に入り込んできた。
 そしてひとつひとつがまるでそれの状態を確認するようにゆっくりと同化していった。 その度にそれの体は変化していった。
 ものを見る目が増え、音を聞く耳が増え、それらは幾つかの顔となり、それの前足がついている大元から生まれてくる。背中の部分から無数の触手が生まれ出て、その先が二つに割れ、鋭い牙を持つ口が生まれた。尾の部分が幾重にも分かれ、そこにも牙を持つ口が現れた。
 幾つもの生き物の特徴が、それの体に表れた。
 そしてそれらは、強う憎しみで充ち満ちていた。
 人間たちに対して、彼らが動かす重機の群れに対して、その憎しみは向けられていた。
 それらを壊すのだ。
 完膚無きまでに破壊してしまうのだ。
 そしてもう一度、ふるさとを取り戻すのだ。
 人と獣と『もの』たちが共存していたふるさとを取り戻すのだ。
 それの中に強い決意が生まれた。
 幾つもの獣たちの魂がそれを中心として結合していった。
 そして、それはキメラになった。
< 25 / 66 >

この作品をシェア

pagetop