ふるさとの抵抗~紅い菊の伝説4~
 美鈴と啓介、そして美里の三人はあの気の流れの源である森の中にいた。既に陽は西に沈み始めており、森は闇に包まれていこうとしていた。その中で気の流れは陽炎のように揺らいでいる。それはまるで彼女たちを招いているようでもあった。
 三人は互いの精神の波を同調させて外界から中の世界を閉ざしている結界に人が通れるほどの穴を穿つ。結界は何の抵抗も見せずに扉を開いていく。まるで彼女たちが来るのを知っていて招待でもするようだった。
 結界の中はまるで春のような穏やかな日の光が降り注いでいた。この中はどうやら時間の流れが違うようだ。美鈴はその光景を見て思った。
 ハーリーティは何処にいるのだろうか、子供たちの笑う声が遠くから聞こえてくるその場所に彼女の姿を見つけることが出来ない。だが、きっと何処かから美鈴たちの様子を見ていることは間違いがなかった。美鈴は周囲に精神の触手を伸ばしていった。
 やがてその触手は子供たちを優しく見つめている気配を感じ取った。
 ハーリーティだ、美鈴はその存在にそっと触れた。
「やはり来たのか…」
 三人の前にハーリーティが姿を現す。
「この人間は?」
 ハーリーティの問いに美鈴は自分の母親であることを告げる。
 美里が軽く会釈する。
「それで、考えは纏まったのか?」
 ハーリーティの試すような視線が三人に注がれる。
「完全に、ではありません。ただこの子たちだけでは解決できないことはわかっています。」
 美里は言葉を選んでいるようだ。
「そうだな、これは大人の問題だな?」
「ええ、でもこのままというわけにはいきません」
「そうだ、親が変わらなければこの問題は解決しない…」
 ハーリーティの哀しげな言葉が美鈴の心にしみていく。
 親を変えていく、本当にそんなことが出来るのだろうか?美鈴の中に不安が広がる。
「今すぐ、というのは難しいと思います」
 美里の目にも哀しげな光が浮かんでいる。
「ですが、今の人間の社会にはこういった子供たちを一時的に親から離しておく仕組みがあります。それを利用したいと思っています」
「どのようにしてそれを利用する?お前たちはここにいる子供たちとは何の繋がりもないのだろう?」
「仰るとおりです。その仕組みを動かすためには具体的な証拠が必要になります」
「具体的な証拠?」
「そうです、この機械で子供たちの体を写させてください」
「姿を写す?」
「はい、このようにすれば子供たちの姿を写し取ることが出来ます」
 そう言って美里は娘の方にカメラを向けてシャッターを押す。カシャリッ、という音がして美鈴の姿がデジタルカメラの小さなディスプレイに写し出される。それを見たハーリーティは驚くとともに感心する。
「お前たちの世界には便利なものがあるのだな。それで、その姿を使ってどうするのだ?」
「私の知り合いに警察という組織に属している人がいます。その人にこれを見せて力を借ります」
 美里の提案を聞いたハーリーティは黙り込み、暫くの間何かを考え込んでいるような仕草をした。その時間は恐らく数分の出来事だったはずだが、美鈴にはとても長く感じられた。
 やがてハーリーティが口を開く。
「その警察の人間というのは信用できるのか?」
「はい、私達はある出来事でその人と知り合ったのですが、信頼できる人物です」
 再びハーリーティは考え込む。
 美里の言葉を信じても良いのかと評価するように、彼女の様子をじっと見つめる。美里は心の由良美を感じさせないように毅然として彼女の視線を迎え撃つ。
 ハーリーティの視線が優しいものに変わる。
「いいだろう、子供たちをここに呼ぼう」
 ハーリーティはそう言うと二つの目を閉じる。
 暫くすると遠くから四人の子供たちが近づいてくるのが見えた。
「さあ、この子たちの体を見てやってくれ」
 ハーリーティは自分の傍らに来た四人のうちの一人、翔の来ているものを捲りあげた。それを見た美鈴たちは自分の目を疑った。
 そこには無数の傷跡が走っていた。何か堅いものを打ち付けられたような紫の傷跡、小さな温度の高いもの、恐らく煙草の火を押しつけられたと思われる爛れた傷跡。古いものやまだ生々しい傷跡が、彼に向けられた虐待が決して短い時間ではないことを告げていた。
 美里はその体の映像を冷静にカメラに写し取り、啓介は怒りの目をし、美鈴は目を背けた。
 やがて四人全ての体の様子を写し取った美里はハーリーティに礼を言った。
「ありがとうございます。これで次の行動に移れます」
「だが、上手くいくかな?」
「わかりません、簡単なことではないと自覚しています。でも誰かがやらなければならないことだと思っています」
「上手くいくと良いな。生ける者がここにいることが良いとは私も思ってはいない…」
 ハーリーティはそう言うと哀しげな表情を見せた。そして四人の子供を連れてそこから去っていった。
「行きはよいよい帰りは怖い、か…」
 ハーリーティの姿が見えなくなると美里がそう呟いた。
「なによ、それ」
「来るときは神経が張り詰めていたけど、彼女を説得できると信じていたわ。でも結局私達は重たい責任を背負わされてしまったわね?」
 美里はそう言うと美鈴と啓介を交互に見つめた。
「とおりゃんせの歌ですね…」
「そうよ、啓介君。通りゃんせの歌には口減らしのために子供を捨てた意味があると言われてもいるのよ。子供を捨てた帰りには後ろ髪引かれる思いと後悔の念を持ってしまうというね。私達の場合は重たい責任を背負わされてしまった、ということになるわね。それも決して失敗の出来ない責任を…」
 美里の目には強い決意を抱いたという光が見えた。
 そして美鈴は静かに頷いた…。
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