ふるさとの抵抗~紅い菊の伝説4~
 森崎は再び天野恵理子の家に向かっていた。
 これまでの取材から背筋の寒くなることを彼女がしていることがわかったからだった。
 タロはもう何処にもいない。
 タロのその後の様子を記事にしようとしていたのだが、取材は思いもよらない方向にねじ曲がってしまった。軌道修正は出来ない。ありのままを記事にしていくしかない。森崎はそう決意していたが、その後に恵理子に襲いかかる一般の人間たちの行為が彼を躊躇させていた。
 増幅された無数の抗議、それらは悪意を持って彼女に襲いかかる。
 彼女の行為を利用して、不満の捌け口にする無数の心ない人間たち。
 その攻撃に彼女は耐えられるのだろうか?
 人生に疲れて、人々に忘れ去られたようにひっそりと暮らしている絵里子の人生を自分は今、壊そうとしている。祖も思いが森崎の足を遅くする。
 しかし、書かなければならないだろう。森崎は思った。
 恵理子にしても好きでそのような行為に及んだわけではないのだろう。
 彼女の中の何かがきっと壊れてしまい、その行為に走らせたのだろう。
 自分はそれを書かなければならない。
 だからもう一度、彼女の話を聞いておかなければならない。
 それは森崎の決意といっても良かった。
 やがて恵理子の家の前に森崎は立ち、呼び鈴を押した。
 その家は相変わらず痛々しい姿を街の中に曝していた。
「天野さん、森崎です。もう一度お話をお聞かせ願えませんか?」
 返答のない扉に向かって、森崎は恵理子の名前を呼び続けた。
 暫くすると迷惑そうな表情をした恵理子が姿を現した。
「今度は何のお話ですか?」
 自分には何も話すことはない、恵理子の表情はそう語っていた。
 だが、こちらには聞くことがあるのだ。
 森崎は努めて穏やかな表情を作って言った。
「実はその後のタロのこと、いや、あなたが拾ってきた犬や猫のその後のことでお話を聞かせていただこうと思って伺いました」
 恵理子は明らかに後ろめたい表情を浮かべた。
「その後のことって、何ですか?」
「あなたは多くの犬や猫を拾ってきている。けれども飼っている数は増えない。その訳は何ですか?」
「みんな善意の方たちに差し上げてきたんです」
「そんな筈はないでしょう?あなたの家を訪ねる人がいなかったことは近所の方たちが言っていましたよ」
 森崎が言葉を発するとともに恵理子の表情が険しくなっていく…。
「あなたは何が言いたいんですか?」
 恵理子の肩が震えている。
「天野さん、知っているのですよ。あなたがされてきたことを…。私はあなたの心の中が知りたいんです。何故あなたがそうしなければならなかったのかを…」
 森崎は努めて優しい声で言った。
 だが、その思いは恵理子には伝わらなかった。
「何のことを言っているのですか?」
 恵理子は明らかに森崎に敵意を剥き出しにしていた。
 このことは記事には出来にかもしれない、森崎の心にそんな言葉がよぎった。
 そして、言うまいとしていた言葉を口にしてしまった。
「何処で処分してきたのですか?その犬や猫を…」
 その言葉は決定的に二人の関係を壊してしまった。
 恵理子の怒りが森崎に向けられた。
 恵理子は完全に森崎を拒絶してしまった。
 その扉は冷たく閉ざされてしまい、二度と開くことはなかった…。
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