ふるさとの抵抗~紅い菊の伝説4~
 森の中、美里は小島たちと児童相談所の担当者とともに、再び気の源の前に立っていた。彼女たちのほかに誰もいない中で何が始まろうとしているのか、それを想像できない相談所の担当者はただ呆然と美里を見つめ、小島と恵はこれから怒ろうとしている人知を越える出来事を受け入れようと身構えていた。そんな人間たちを尻目に美里は一人精神を気の流れに集中させていく。やがて彼女たちの目の前に空間に陽炎のような揺らぎが生まれ、その向こうの景色が姿を現し始めた。その景色は次第に大きくなり、ついに何もないと思われていた空気の壁が破られ、こちら側とは異なる景色が彼女たちの前に広がった。
「さあ、こちらです」
 美里は三人の先に立ってその景色に足を踏み入れる。
 続いて小島が、恵が、そして相談所の担当者が彼女に続いた。
 穏やかな景色は美鈴たちと来たときと何も変わってはいない。ただ違うのはこういった現実を受け入れにくい人間たちをともにしていることだ。美里はそう感じていつでも動きがとれるように心の中で身構えていた。
 暫く歩いて行くと遠くから子供たちの笑い声が聞こえてくる。
 そろそろハーリーティが現れてもいい頃だった。
 美里がそう思ったときだった、果たして上の方から女性の声が降りてきた。
「戻ってきたのか?」
 ハーリーティは人間たちの前に姿を現した。彼女の肌は透き通るほどに白く、長い髪の色が映えて見える。
 整った顔立ちに光る理知的な眼は目の前の人間たちの心を見透かしているようにも見える。
「はい、この前にお話しした問題を解決できる方たちをお連れしました」
 美里はそう言うと一人一人をハーリーティに紹介した。
「するとこの者たちがあの子供たちを保護できるのだな?」
「はい、事実を確認させていただいて必要であれば私どもで保護致します」
 児童相談所の担当者が答える。
「それまでの間、私たちが子供たちを守ることになります」
 小島が続く。
「それまでの間とは?」
「はい、私どもが保護することを親御さんが抵抗なさることが希(まれ)にありますので…」
「抵抗とな…。それならば何故このような仕打ちができるのだろう?」
 ハーリーティは一人の子供を呼び寄せるとそのシャツを捲り上げてせた。
 やはり翔と同じような傷跡がそこには無数にあった。
 また、別の子供を呼び寄せるとその子の姿をじっと見るように人間たちに言った。
 その子は異様に痩せていて、そして小さかった。
 若い恵の瞳に怒りの炎が揺れている。その身体が微かに震えている。
 その様子をハーリーティは優しい眼で見つめている。
「執拗な暴力を加える、食事を与えずに放置する、これらのことを同じ人間、親が出来るということが私には理解できない…」
 ハーリーティが言葉を漏らす。
「そして時には殺されてしまう。私達にも理解できないんです…」
 怒りに震える声で恵が応じる。
 それは、そこにいる誰の心にも浮かんでいる言葉だった。
「だから子供たちを一時的に親から引き離します。親が自ら変わる努力をして問題がなくなるまで…」
「それでは私のしたことと変わりがないな…」
 美里の言葉を聞いたハーリーティは微かに笑った。
「そうですね…」
 美里も笑みを浮かべる。
 ハーリーティは子供たちを見つめ、人間たちの方に視線を投げる。彼女にもこのままの状態が良くないことはわかっていた。何故ならこの子たちは生きている。未来があるのだ。それを奪ってしまう権利は自分にはない。子供たちの命を守るためにここに連れてきたが、いつかは返さなければならない。だが、その方法が彼女にはなかったのだ。
「この辺が潮時だな…」
 ハーリーティが呟く。
 そして子供たち一人一人の顔をじっと見つめる。
「この子たちを守ってくれるか?」
 ハーリーティの瞳が人間たち一人一人を見つめる。
「勿論です。そのために来ました」
 美里が毅然とした態度で応える。
 呼吸の音が聞こえるほど静かになる。
 空気が張り詰める。
 そこにいる誰もが、自分以外の一人一人を見つめていく…。
「良いだろう。この子たちをお前たちに預ける」
 ハーリーティの手が翔の肩に触れる。
「だが、忘れるな。この子供たちに何かあったら私はお前たちを許さない」
 その瞳に強い意志が光る。
 それは優しさ故の彼女の厳しさだった…。
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