ふるさとの抵抗~紅い菊の伝説4~
 静まり返った廊下、備え付けられた長椅子に美里と啓介の姿があった。ふたりとも押し黙って情報に灯っているランプを見つめている。ランプには「手術中」という文字が浮かんでいる。美里の合わせた手が震えている。
「おばさん…」
 啓介がつぶやく。
「大丈夫よ。あの子が死ぬわけはないから…」
 希望にも似た言葉が美里の口から漏れる。
「あなたは悪くない。悪くないのよ」
 啓介は俯いている。
 重苦しい空気は誰も近づくことができないように二人の上にのしかかっている。すでに一時間、時計の針は進んでいる。
 ふと美里が視線を上げるとくたびれたスーツを着た小島がそこに立っていた。
「どうですか、様子は?」
 小島の低い声が吸い込まれていく。
 美里はただ首を横に振る。
 小島は頭上の表示を見上げて美里の隣に腰を下ろす。
「あの、撃った人は…」
「重体です。今夜もつかどうか…」
 美里の言葉に小島が答える。
「当然、逮捕するんですよね?」
 啓介が問いかける。
「ああ、勿論だ」
 そう答えながらも、小島は以前横尾を逮捕した時のことを思い返していた。おそらく逮捕しても今回も釈放せざるを得なくなるだろう。そう思っていた。
「鏡さん…」
 言いにくそうに小島が言った。
「あれは一体何だったのでしょう。そしてあなた方は…」
 小島の溜息にも似た言葉が吸い込まれていく…。
 美里はゆっくりと小島の方を向く。
「あれは『もの』と呼ばれているものです。私たちはその『もの』を払う者」
「『もの』?」
「悪霊や妖怪といったたぐいのものです」
「妖怪、ですか…」
 小島は聞きたくない言葉を聞いたというような表情をした。人の手に届かないもの、そういうものに対して自分たちはなんと無力なのだ。これまでのことを振り返って何も出来なかった自分を小島は悲しく思った。自分の無力さを呪った。
 その時、手術室のドアが開かれ、美鈴が運びだされてきた。美里、啓介、小島は傍らの医師に近づいた。
「先生…」
 美里が問いかける。
 医師は笑顔を見せて答える。
「大丈夫です。弾は取り出しました。今は薬で眠っているだけですよ」
 医師の言葉に美里は全身の力が抜けていくのを感じた。
 啓介は胸を撫で下ろした。
 美鈴が銃弾に倒れた責任は自分にあると思っていたからだ。あの時自分が別の存在に乗っ取られていなかったらきっとあの事態は避けられただろうと思っていたのだ。だから美鈴にもしものことあった場合、自分はどう償えばいいのか、そればかりを考えていたのだ。
 勿論、美鈴の命が救われたからといってその責任から逃れられるとは思っていない。啓介は先程まで震えていた美里の姿を思い浮かべてそう思っていた。
 そして自分がこの運命を背負っている以上、同じような場面はまた繰り返されるのだと感じていた。
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