メルヘン侍、時雨れて候
しばらくたち、何をそんなに泣いてるんだいと旦那さんは言うが、メルヘンさんはうまい答えが見つかず「あっしの問題ですから」と、くずれた笑顔で答えるだけだった。

そんな調子で繰り返すもんだからいよいよ酒に酔った旦那さんは男のくせにメソメソ泣いてんじゃぁねぇよ!と殴りつけた。

罵倒し、殴り続けるのを奥さんが止めてくれた。

メルヘンさんは痛みを感じなかった。

「奥さん止めないで下さい。どうか」

「うるせぇ、はやく帰れ! もうオマエな! いつまでもメルヘンとかポエムだとかつまんねん書いてないで、ちったぁまじめに汗かいて働け! 重い物を運んだり長い距離走ったり、仕事なんていくらでもあるんだよ! メルヘンやポエムは空いた時間にすりゃいいじゃねぇか! ちがうか?」

やめるという選択肢。気が付かなかった。そうか、やめてしまえばいいのか。だけどなんだろうか、この胸の奥のもやもやは。

押さえていたご隠居への怒りの感情がぶりかえし、どうにもなりそうもなく、八つ当たりしてしまう前に「もうかえります」と山田夫妻に声を掛けて立ち上がろうとすると、奥さんが少し待ちなさいと奥に引っ込んでいった。

聞こえないふりをして玄関を出たところで奥さんがおにぎりを両手に抱えて、こう言った。

「うちの旦那が、ごめんなさいね」

「いえ、あやまらんといてください」

「お酒さえ飲まなけりゃ、いいひとなんですけどねー」

「いえ、盆栽をダメにした僕が悪いですから」

「だいじょうぶ」と、僕の目のあたりに手を掛けて心配はしてくれたが、そんなに腫れているのだろうか、本当に全く痛みを感じていないのだ。

僕はそんな器用な方ではないから、いっぺんに色んな情報を受けとることができない。旦那さんは腕のいい大工の棟梁だ。その人のまじめに働けという言葉のほうが、とても痛かったのだ。

「旦那は、あんなこといってるけど、メルヘンさんの書く話すきなのよ」

黙っている僕に奥さんは突拍子もないことを話し出した。

「あの人もね、昔、新聞記者になりたかったのよ」

「そうなんですか」

「いつもメルヘンさんの事、ほめてるよ。うらやましいって」

うらやましい? どういうことだろうか。


「お向かいさんなんだからさ、言えるようになったらなんでも言って? ね?」

「いえ、僕にそんな、もったいないです。いただけません。お気持ちだけ」

おにぎりを奥さんにかえし、今このタイミングで、いつもみたいにお腹が鳴ってくれるなと、奥さんに背中を向けて自分のほっぺたをグーで叩いて言った。

「鉢植え、必ず弁償をします」

「そう、じゃぁ、このおにぎりも持って行って頂戴」

「ええ?」

「わたしの握ったおにぎり不味そう?」

「いえ、そんなことないです。自分にはもったいないです」

こらえていた涙がじんわりと滲み出すし、おなかは空いてるし奥さんは若くてかわいいいし、もう、わけがわからなくなった。


「メルヘンさん」

「はい」

「あのひとはあんなこといってるけど、いつも『あいつはやめないのがすごい』って褒めてるのよ」

やめないのが凄い? ただ意固地にしがみついているだけだ。書く方にもロクに進まず、毎日明日こそは傑作を書こうなんて先延ばしにしてる。

やめる事だって決断を先延ばしにしているだけで褒められるような立派なモノなんかじゃない。そう思い、ぐっと振り返ってから頭を深く下げた。

「やめるのは簡単。ああ、向いてない。やったけどダメだったー。才能なかったわーって決めればいいんだもん」

下げた頭に奥さんの言葉が降り注いだ。


「わたしは、あんまり字が読めないからよくわかんないけど、メルヘンさんの書く話を読んでるときの旦那はとてもうれしそうで、きっととても好きなんだと思いますよ」

下げた頭を更に下げて、家には向かわずに来た道を引き返すようにしてメルヘン侍は走り出した。

さっき感じたもやもやの正体がわかった気がした。そう。ぼくは一度、お侍さんになるのを辞めていたんだ。


ご隠居に、どうしても言いたいことがある。

それは、いまじゃなきゃ、だめな気がした。


<<つづく>>


次回、最終回。




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