涙と、残り香を抱きしめて…【完】

「…好きな男が…いるのか?」


今度は俺が安奈を凝視する。


そっと眼を伏せた安奈がコクリと頷き「…いるよ」と答えた瞬間、星良に対する嫉妬とは、また違った嫉妬を感じ体が震えた。


信じられなかった。安奈に好きな男が…嘘だろ?


「誰だ?俺が知ってる男か?」


だが、安奈は俺の質問には答えず、俯き膝を抱えたままジッと一点を見つめているだけ。
そして長い沈黙が続き、やっと顔を上げたと思ったら、ポツリと独り言の様に呟く。


「仁君の気持ちが、少し分かった気がする」

「俺の気持ち?」

「うん。好きな人を諦めなきゃいけないっていう辛い気持…」

「安奈…」

「ごめんね…仁君。あたしのせいで、あの人と別れたんでしょ?」


予期せぬ安奈の言葉に驚き絶句していると、眉を下げた安奈が遠慮気味に聞いてくる。


「まだ…好きなの?」


俺を見つめる瞳には、今にも零れ落ちそうな涙が光っていた。


娘の涙に動揺し、一瞬、答えに迷い安奈から眼を逸らすと、そんな俺を見た安奈が「仁君って、分かりやすいね」と言って、少しだけ笑った。


「もう…いいから…
仁君の事、解放してあげるよ。
ママだって好きな事してるんだもん。
仁君も好きに生きて…」


安奈から、こんな言葉を聞くとは想像も出来なかった。


「…本当に、それでいいのか?」

「うん。いつまでもあたしの我がままで家族ごっこしてても、誰も幸せにはなれないもんね」


安奈のその一言に、俺達家族のこの10年全てが凝縮されていた。彼女が求めていた普通の家庭を築けなかった不甲斐ない親。


それが、俺だ…


「…すまない」

「仁君が謝る事なんてないよ。
悪いのはママなんだから…

あ、それと…
あたし、ここ出てくから…」

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