涙と、残り香を抱きしめて…【完】

「あっ、そうだ!!
明日の朝食用のパンがもう無かったんだ。
帰りに買わなきゃ~ねっ?」

「そうだな」


なんなの?その会話は…
それって、つまり…2人で朝食を食べるって事?
まさか…一緒に住んでるの?


「でも…もうすぐ俺は名古屋に帰る事になるんだぞ。
そうなれば、マンションも解約になるし…
安奈ちゃんはどうするんだ?」

「うーん…どうしようかなぁ~
蒼君の名古屋の社宅に押し掛けちゃおうかな?」

「バカ、それはいくらなんでもヤバいだろ…」


ヤバい?何が…ヤバの?
仁が居るから?
それとも、私が居るから?


軽かったキャリーバックが異常に重く感じ、体に力が入らず足がもつれ前に進めない。


もう、限界だ。
これ以上、2人の会話を聞きたくない…


徐々に離れて行く赤い傘


それは同時に、私から離れていく成宮さんの心そのものの様に思えた。


遠ざかる赤い傘が見えなくなると、私の手から安物のビニール傘が滑り落ち、小雨が容赦なく強張った体を濡らしていく…


冷たいという感覚さえ無く雨の雫と共に零れ落ちる涙を拭う気にもなれなかった。


成宮さんの誕生日だからって、嘘までついて会社をサボり東京まで来た自分がバカみたい。


彼に気を使い電話もメールも我慢して、ひたすら帰って来る日を待ち続けていた自分が、堪らなく情けなくて滑稽に思えた。


夢も希望も全てが泡となって消え去り、余りにも大きな喪失感で意識が朦朧とする。


ただ、一刻も早くこの場を離れたいという思いだけで、迫って来たヘッドライトの光に力なく手を上げた。


「…東京駅まで…」


ほんの一時間前に笑顔で歩いた駅構内を、今はずぶ濡れで泣きながら歩いている。


すれ違う人々の好奇に満ちた眼が、更に私を惨めにさせ、この世の全ての人が私の事を笑っている様な気さえした。


お願い…誰か教えて…


いったい私は、どうすればいいの…?


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