結婚白書Ⅳ 【風のプリズム】


新しく手に入った本を実咲の部屋に届けた日だった

メールで ”ポストに入れておくよ” と伝えたものの 本の厚みで

ポストに入らず彼女の部屋まで届けた



「わざわざありがとう 良かったら何か飲んでいかない?」


「いいの?」


「いいわよ 散らかってないから安心して」



普通なら 

散らかっているけど どうぞ とか

狭い部屋だけど どうぞ とか

そんな言い方をするのではないか


”散らかってないから安心して” なんて 風変わりな表現だったからか

実咲の言葉は 僕のためらいをあっさり取り去った


大学に近い場所にある美咲の部屋は 学生専用のマンションだった

音楽科の学生が楽器の練習もできるように 防音壁と重いドアが施されていた

その代わり 室内装飾はこの上もなく地味で 



「色気のない部屋なのよ どうにかしたいんだけど」



せめて花柄の壁紙でもあれば良かったのにと 

口角を下げて不満を漏らした口が いつもの実咲より女の子らしく見えた



「花柄の壁紙なんて 目がチカチカするんじゃないか?」


「あはは……そう言われればそうね その辺に座って コーヒーでいい?」



いいよと頷くと ケトルに水を入れるのが見えた


”最近は おやかんがない家庭が多いのよ 

料理はお湯を沸かすことから始まるのに……”


母がぼやくのを聞いたことがある

実咲がケトルをコンロにおくのを見て 料理が得意なんだろうなと

勝手に想像していた




「遠野君の指 綺麗ね カップを持つの さまになってるもん」


「そうかな 気にしたことなかったけど 

女の子に指が綺麗だって言われて変な気分だよ」


「ごめん ごめん 男の人に綺麗なんて 褒め言葉じゃなかったわね 

でも ホントに綺麗よね……私なんて短くて やんなっちゃう」


「はは……大きくて ごっつい指よりいいじゃん 実咲は髪が綺麗だね」



指が綺麗だと言われて つい髪のことを口にしてしまった

髪が綺麗だねなんてキザに聞こえたかも知れないと 急に恥ずかしくなったが



「本当? ありがとう この髪 ちょっと自慢なの ふふ……嬉しいなぁ

まだカラーリングしたことないのよ 巻き毛だって自前なんだから」


「へぇー すごいや ちょっとさわらせてよ」



いいわよと 実咲はくるりと向きをかえて 僕に背中を見せた

栗色の巻き毛が ふんわりと波打って肩に落ち着いた




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