結婚白書Ⅳ 【風のプリズム】

 卒業旅行とプロポーズ



6年間過ごした部屋を離れる寂しさは 自分で思っていたより大きかった

マンションの部屋を空にすると 母と初めて来た日が思い出された 

大学に近い場所がいいと言う僕と ここは環境がいいのと言い分を譲らない

母との間に立った不動産会社の担当者の困った顔まで浮かんできた

初めての一人暮らしへの期待と不安 気楽さと不自由を味わったのも 

この部屋だった

実咲と過ごした一年は最も充実した時で 二人でいる充足感はこのうえもなく 

実咲が卒業してまた一人になったあとは かなり堪えて参った


人気のない部屋に佇み 感傷的になっている僕の背に 実咲の明るい

元気な声が掛けられた



「賢吾 引越し屋さん行きますって 私たちも出かけよっか」


「すぐ行く」



部屋の中を記念に写そうとカメラを構えたが、手を下ろし、部屋をもう一度

見回し目の奥に焼き付けた





卒業旅行に行こうと言い出したのは実咲だった

”引越し荷物を送り出して そのまま出掛けようよ 行き先は私に任せて”

どこに行くのかと聞いても 笑うばかりで教えてくれず 行き先を聞いたのは

先週のこと まさか朋代さんの故郷に行くとは思いも付かなかった

お昼は駅弁よと 季節限定の弁当を手際よく手に入れ 新幹線に乗り込むと 

実咲が得意そうに渡してくれた



「みなさんにお会いしたかったの 賢吾 お墓参りだってまだでしょう」


「実咲 ずっと連絡をとってたんだ そんなとこマメだよな 

ほんっと感心する」


「そんなんじゃないわよ 繋がりをもっていたかったから……

おじいさんが亡くなって もう3年経つんだね」


「うん……そうだ 要さん 船を出してくれるって 念願の海釣りにいけるぞ」


「やったー 私初めて あっ 船酔いとかしないかな」


「そんなに長い時間じゃないよ 釣り場を決めたら船は動かないよ」


「それなら大丈夫ね」



カキの味がするね 美味しいわぁと連呼しながら頬張る姿は学生時代と

変わらないが 少し痩せた顔 それと髪をまとめているせいか 

今日の実咲は僕よりも大人びて見える

今回の旅行のために 仕事をやりくりして休日前の休暇を取ったらしい

学生のときからしっかりしていた彼女だが 社会人になりもっと落ち着いてきた

僕がこれまで学生だったから なおさらそう感じるのかもしれないが 

実咲はいつも僕の前を歩いている 

これから彼女に追いつかなければ そして いつか……

ぼんやりと未来図が見えたようで気恥ずかしくなり 駅弁のご飯を乱暴に

かき込んだ




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