二度目の恋
 男が近付いてきた。その気配で美月の動きは止まった。顔を上げ、男の顔を見ると、ゆっくりと立ち上がった。震えと脅えが重なり合って体中が硬直し、雑巾を床に落とした。
 その瞬間、男は美月の頬を勢いよくひっぱたいた。


 恵子が家に帰ってくると、床が濡れていた。「愁!」恵子は愁の名を呼んだ。だが返事はない。「愁!」もう一度呼んだ。すると奥から裸の愁が、バズタオルで体を拭きながら出てきた。体から湯気が出ている。その姿を見
「お風呂入ってたの?」
 恵子は聞いた。
「うん。体濡れて風邪引くから」
「あれ?あなた傘は?」
「隣の子にあげた……」
 恵子は質問していながら、その答えは聞いていなかった。それより床に垂れ落ちた水が気になる。
「ほら、こんなに床を濡らして。雑巾持ってきなさい」
 愁は雑巾を持ってきて、恵子はしゃがんで拭き始めた。暫く拭き、そこで愁の言葉に気がついた。
「隣の子?」
 床を拭きながら、愁の顔を見上げた。
「うん。僕会ったの」
「他は?」
 恵子は立ち上がった。
「その子だけ」
 愁は言った。
「どんな子なの?男の子?女の子?」
 恵子はもう、床に垂れた水のことを忘れ、隣の子が気になっていた。
「女の子でね、名前は美月って言うんだ。年は僕と同じ十二才」
「何処で会ったの?」
「家の前でね、濡れてたんだ」
「何で?」
 恵子は首を傾げた。
「分かんないけど、凄く寂しい目をしてた」
「みんな隣の家の噂してるわ。もう一週間よ。挨拶もないし、誰も見たことがないの。みんなが警戒しているわ。非常識な家として」
「青い目をしてた……女の子……」
「え!外人かしら?」
 分からないことは多かった。誰もが興味を示していた。それは愁も同じだ。愁はその日、布団に潜り込んでから、美月のことばかり考えた。一緒に学校へ行くこと。畦道を一緒に歩くこと。湖で一緒に遊ぶこと。あの湖で──────
 <そうだ!美月を湖に連れて行こう!あの、湖に……>愁は思った。あの湖は亨との秘密だが<美月ならいいだろう……僕の友達なんだ>そう思うと、嬉しくなってなかなか眠りにつけなかった。
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