Mezza Voce Storia d'Aore-愛の物語を囁いて-
 五年前、ケインがスコットランドに来て六日目で、ジェイムズⅠ世の手によって殺された。

 マードックの妹が、ジェイムズの前妻だった。今はもう亡くなり、ベアトリクス・シンクレアを妻にもらっている。

 前妻との子はなかった。シンクレアとは、すでに四人の子を儲けていた。

 マードックの妹と婚姻関係にありながら、身うちを裏切ったとケインは今でも信じている。ジェイムズⅠ世の内応者となり、マードックの一族を滅ぼしたのだ。

「ケイン殿はご結婚の予定はないのですか?」

 ダグラスがソファの奥深くに尻を置きなおした。ケインの表情を見逃さぬように、ダグラスがじっと見つめている。

 ケインもダグラスから視線を逸らさなかった。

 ダグラスの目が挑戦的なのが、ケインは気になっていた。太い茶色の眉毛が、よく動く男だった。今も右の眉毛が上がっている。

 背が低く、自信なさげに背中を丸まっているわりには、やけにきつい顔立ちだった。気の強そうな目に、唇が不満そうに曲がっていた。

「残念ながら、結婚の予定はありません」

 ケインはきっぱりと答えた。

 なぜダグラスが、結婚の話を振ってくるのかとケインは考えた。

 世間話をするためだけに、口を開いたとは到底思えない。世間話をするような仲でもない。会話の中に、裏があるのではないかと警戒してしまう。
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