金色の陽と透き通った青空
第12話 2人の生活の始まり
 お店のある日は、杏樹の朝はとても早い。朝3時45分に起きて手早く身支度して、大体4時頃焼き菓子工房に行く。

 手は念入りに殺菌石鹸で洗い消毒、白い作業着とスッポリかぶる作業帽子、長靴、マスクに手袋着用……。この姿だといったい誰なのか分らないぐらいになる。

 作業終了時に綺麗に掃除しておいたが、始める前にまた作業台など掃除。そして菓子工房のコルクボードにプッシュピンで貼っておいた表を見る。そこには、今日お店に出すお菓子の種類と製作個数を書いた本日の予定表と、時間を無駄にせずに作業できるように組んでおいた、作業工程表が貼られている。
 その脇には、いつも取引している製菓材料店、ラッピング材料店、その他の取引店の連絡先と、配達予定日など細かに書いてある。

 そして作業スタート!!

 レシピは全て頭の中に入っているし、材料配合は杏樹オリジナル……。甘さはやや控え目で、厳選された材料と、細部まで手を抜かない奥深い味わいがある。お値段は、決して安いとは言えないが、飛ぶように売れる。

 初めはマドレーヌやフィナンシェなど、少し生地を寝かせた方がいい物からとりかかり、手際よくどんどん作り、寝かせ用のステンレスのキッチンシェルフ棚に並べて、それぞれタイマーを掛けておく。
 その間に、大型冷蔵庫から前もって作っておいたクッキーの種を出して来て、綿棒で伸ばして型を抜いて次々と天板に並べて焼いていく。
 オーブンはプロ用の大型で4段の物が2台ある。8種類の焼き菓子が同時に焼けるシステムだ。
クッキーの焼きが始まった頃に、掛けておいたタイマーが鳴りだし、バターを塗って粉をふって大型冷蔵室に入れて冷やしておいた型にどんどん流し込んで、フィナンシェとマドレーヌの焼きが始まる。その間にクッキーが焼き上がりケーキクーラーのアミに乗せ冷ます。
 こうやって手際よく、次から次にオーブンに入れて行き、出来上がった物は種類別にケーキクーラーのアミに並べて冷まし、あっという間に沢山の焼き菓子達が完成し出す。部屋中には、香ばしい甘い香りが広がる。

 菓子の粗熱がとれたらラッピング作業……。
 手慣れた物で、美味しそうな焼き菓子達が更におしゃれして、食べるのが勿体ないぐらいに素敵に変身した。
 店舗ディスプレー用の籠に綺麗に並べて、ショーケースに次々と並べて行く。1人で切盛りしているので、大量には作れないが、それでも一生懸命頑張ってる。

 店舗の陳列が済んだら、前々から注文を受けていたギフトセットを包む。
 クッキーの詰め合わせギフトセットが5セット、パウンドケーキ詰め合わせセットが3セット、オレンジシフォンケーキが1セット……。

 片付けを終えたら、8時45分に作業終了。

 いつもは遅い朝食を食べて、掃除洗濯をして、着替えて10時にお店をオープンさせるが、ダイニングキッチンに行くと、慣れない手つきで智弘が作った朝食が置かれていた。
 若干焼きすぎのトーストに、少し焦げた固めのスクランブルエッグとフニャフニャの焼け具合のちょっと油っぽいベーコン……。ミニトマトと大きめに千切ったレタスも添えてあった。

 智弘はすでに出掛けたらしく、コップに庭から摘んできたハーブの花が生けてあって、その下にメモ用紙が置いてあった。メモ用紙にはこうかかれていた。


 * * * * *


 おはよう! 杏樹の朝はとても早いんだね。驚いたよ。
 朝寝坊してしまって、何も手伝う事が出来なくて本当にゴメン。
 こんな事ぐらいしか出来ないけれど、迷惑じゃなかったらこれから朝食は俺に作らせてくれ。

 洗濯は君の大事な衣類を台無しにしてしまいそうだったので、やめておいた……。
 俺の衣類は触るのも嫌かもしれないと思って、その辺にあった石鹸で洗って干しておいた。(端っこにむさ苦しい物を干させてもらってゴメン。だけど男物の衣類を干してあると、防犯になるかな?)

 秘書に聞いたら俺は会社を罷免されてて、退職金も出ないらしい……。(今までのお詫びに君に渡そうと思っていたのに済まない。だが、会長の知らない俺の口座にはそれなりの額はあるから、生活費の事は心配しなくて大丈夫だ。もし、君が許してくれたら一生養うぐらいの蓄えは十分あるので安心して欲しい)

 会長は玖鳳の籍からも抜けろと息巻いているらしい……。願ったり叶ったりだ!!
 君が許してくれたら、海藤姓に改名してもと思ってる。(海藤リゾートを復活させたい気持ちを持っているんだ)

 無職の男が家にいるのも見苦しい物はないと思うし、自分自身許せない事だ。
 出来れば俺の夢だった事にちょっとチャレンジしてみようかなと思ってる。(済まない。給料はあまり期待出来そうにないが……)

 兎に角、職探しに行ってくる。
 夕方ぐらいには帰って来るので、これらも宜しく頼みます。

 フールこと智弘 より


 * * * * *


 コップに飾ってあった花は、手でちぎって生けたようだった……。杏樹はもう一度茎の所を花切り鋏で水切りして生け直した。

「本当にあなたは変わったのね?」

 杏樹は花に向って話した。そしてツンとひとさし指で軽く花をつついた。

 杏樹は智弘の水の滴る、洗濯物を取り込んで、洗濯機に入れて一緒に洗った。

「そんな風に洗って干したら、服がガビガビになっちゃいますよ。昨日、掃除・洗濯はしてあげますって言ったのに...」

 そう言えば、夫の洗濯物を洗うのなんて初めてだなと思った。夫に朝食を作って貰ったのも初めて……。

 一緒に住み始めたばかりなのに、もう心が揺れ動いている自分に気がついた。ただ意地で、拗ねているだけのような気がする……。

 だけどそう簡単には許してあげられない!!

 彼がコップに花を生けるなんて!!明日地球が滅んでしまわないかと心配になって来る。

 少し焦げたトーストをかじった。バターがたっぷり塗ってあって、ちょっと脂っこかったけれどなんだか美味しかった。彼の不器用さと一生懸命さが伝わってくる心地良い味だった。
 パサパサのスクランブルエッグは味が薄くて、フニャフニャのベーコンと一緒に口に入れたらまあまあの味になった。

「あまり美味しいとは言えない朝食だけれど、まあまあ合格よ!」

 杏樹はポツリと呟いた。

「1人で頑張るんだって息巻いていたけれど、やっぱり側にいてくれる人が居るのっていいものだわね……」

 これからスタートする奇妙な夫婦の生活……。
 最悪でストレスがたまって変になってしまわないかと思っていたのに、その逆で心が癒されてちょっぴり期待してると言うか、楽しみのような気がする。こんな風に思うなんて、想像もつかなかった。

「だけどね、すぐには許してあげないから!!」

 杏樹のこの気持ちは、フィルムに包んで暫くは隠しておこう。

「さあ、支度して、お店頑張らないと!!」

 知らず知らず鼻歌を歌いながら、杏樹はお店に出る支度を始めた。

(第13話に続く)








< 12 / 32 >

この作品をシェア

pagetop