金色の陽と透き通った青空
第13話 夫の新しい仕事
 それから1週間が過ぎた頃だった……。

 智弘との関係は、まだ夫婦とまではいかないが、智弘の懸命な努力が実って、恋人未満のいい友人関係という雰囲気になった。

 朝の早い杏樹の夕食は早い。6時30分に夕食、8時30分から9時にはもう寝てしまう。今は夕食を食べ終えて、お茶を飲みながら、新しく決まった智弘の仕事の話しをしている所だった。

「えっ? 木工家具製作所? 」

「ああ。実は昔から物作りが好きでね、家具職人になりたいって憧れていたんだ。俺には生まれた時から敷かれてるレールがあって、それ以外の道を進む事は絶対に無理だろうと諦めていたんだが、会社も罷免されてひょんな事からチャンスが巡って来たので、頑張ってみようかと思ってね。
この年からスタートだから、一人前になる頃にはいい年齢になってると思うけど、おまけに給料も安いし……。だけど一生懸命頑張って、将来は独立して、家具木工房をこの場所で開きたいと思ってる。こんな俺って魅力ないかな?更に嫌われてしまうかと不安な気持ちなんだが……」

 それを聞いて、杏樹は素直な気持ちで答えた。

「いいえ。素晴らしいなって思うわ。私だって、不安な気持ちでお店を手探りで始めたから。智弘さんの気持ち、凄く分るの。何でもやってみなければ分らないし、情熱があればいい結果を出せるって思うし……」
「本当?」
「ええ。ただ……苦労知らずでお坊ちゃま育ちのあなたが、でっち奉公的な厳しい職人の世界でやっていけるのかどうかちょっと心配もあるんですけどね」

 ちょっと辛口だなと杏樹は思ったが、これも本心から出た言葉だ。重労働で高い技術の必要な厳しい世界だと思うそんな世界に、飛び込もうとする智弘の姿は未知のもので、とても想像がつかない。

「う〜ん。今の意見は微妙な感じだな。そんなにひ弱に見える? あの偏屈なじいさん(会長)に厳しくされて来たから、根性は人一倍あるし、体力だって結構あるんだよ俺」

 もやしの様に弱々しく見られてるのかなと、ちょっと不満顔の智弘。これは名誉挽回で是が非でも結果を出して、一人前にならねばと闘志を沸かした。男らしい姿を見せて、杏樹の心を射止め無くては……。

「本当?」
「ああ……。まあ見ていてよ!! 期待を裏切らないから。絶対に泣き言は言わないよ」
「ふふふ……。じゃあ頑張って!! 明日からお弁当でしょ? 作ってあげるわ」
「それじゃあ杏樹の負担が増えてしまうよ。いいよ適当に済ますから……」

 凄く嬉しい言葉だけれど、甘えすぎて彼女の負担にもなりたくないと、智弘は思った。思いやりの気持ちから出た言葉だ。

「職人は体力勝負でしょ? お料理なら私の方が得意だし、遠慮しないでいいわよ。毎日膨大な焼き菓子を作ってるんだから。お弁当ぐらい大した事ないわ。だけど朝はちょっと忙しいから……。夜に日持ちしそうなお総菜を色々作ってタッパーに入れて冷蔵庫に入れておくから、朝、お弁当箱にご飯とおかずを詰めるのはあなたがやってね! あとは水筒も自分で準備してね」

 お弁当を作るぐらい大した事では無いし、あまり負担に思って欲しくない。新しい環境で気疲れして、怪我や健康を損なう事になってはと心配にも思った。
 彼があまり負担に思わない、この提案ならどうかしらと杏樹は思いついて言って見た。

「うん。凄く助かるよ……嬉しいな」

 とても嬉しそうで、にっこり笑う彼の顔が眩しい……。杏樹も嬉しい気持ちになった。

「休みはいつ?」
「日曜日と隔週で土曜日なんだが、そうすると君とは全く休みが合わなくなってしまうね……」

 ちょっと萎れ気味の智弘。そう言う顔を見たら、ちょっと胸がチクンとした。

「私……お店、土日に休もうかなと思ってるの。と言うのも、雑誌で取り上げられてから観光客の人が押しかけて、1時間もたたないうちに品薄になってしまって、今までごひいきにして下さった地元のお客様が購入しにくくなってしまってね。だからあえて、土日に休もうかなって……。それにちょっと年を取ったのか、最近少し体がきつくて。ヤードセール用の小物や服を縫う時間ももう少し欲しいし……」

 心の奥にしまった、智弘との時間も作りたいという気持ちは言わなかった……。

「わあ。じゃあ休日が合うね。嬉しいな……」

 無邪気に笑う智弘に、まあ……なんて自分の気持ちをはっきり口にする人なんだろうと杏樹は思った。
 今は夫の方が素直で真っ直ぐで、私の方が捻くれ者で、素直じゃないなと少し思った。
 一度意地を張ってしまったら、なんだか素直になれない。仲直りするきっかけを逃してしまった。まあ、まだ許してあげるにはちょっと早すぎるわね……。そうやって、自分を無理に納得させてるような気持ちもするけれど……。

「なあ……」
「えっ?」
「そのうち木工の腕が上がったら、俺もヤードセールにちょっとした家具を出品してもいいかな?」

 少し照れ臭そうに、新しい夢について語る智弘に、応援したい気持ちが沸き起こる。

「ええ……是非。 それからここの土地はね。家兼店舗は、猫の額みたいに凄く小さいけれど、土地は2000坪はあるのよ。だから、あなたの工房を敷地内に建ててもいいわよ……」
「ええっ? いいのかい?」
「ええ……」

 杏樹はこの事を言ってから、ふとこれってあなたの事を許しますって言ってる事に近いかしら? とも思ったが、結構鈍感な夫は気づいてない感じ……。

「嬉しいなぁ。あ……それから、車は処分して代わりに軽トラを買ったんだ。木材や工具を運んだりするのに重宝するかなってね。もう俺には外車は必要ないからね」
「あなたって本当に変わったのね?」
「だろ...。俺もそう思う。それに今の方が何千倍何万倍も幸せだなって思うんだ。今まで幸せだなって思った事があったかなってそんな気がするんだ。幸せって思う事、感じる事ってなんて気持ちいいんだ。なんて心地良いんだって思うよ。清々しくて……。俺は心の無かったロボットだったんだって感じるんだ」

 彼は相当辛い境遇で育ってきたのかなとそんな気がした。お金は有り余るほどある環境だったのに……可愛そうな人。心を何処かに置き忘れて……やっと取り戻したのね。

 4年前の彼は表情もあまり無く一切笑わなかった。
 今は毎日目を輝かせながら、くるくる表情を変えて、ニコニコ笑ってばかり。それにこんなにおしゃべりな人だったんだ……。凄く素直だし。人って分らないなって思った。

 私の左手首の傷。今では痛まない。その傷の存在を、最近良く忘れてしまってる……。

 ふと杏樹はあの日の金色に輝く太陽と、どこまでも澄んだ青い空を思い出した。
 金色に輝く太陽は、智弘のニコニコ笑う笑顔に似てる。澄んだ青空は、素直で屈託がない無邪気な今の彼に似てるわね。

 目の前に金色の陽と、澄んだ青空が……。

 今すごく幸せなのかなと感じた。それからとても嬉しくなって、智弘と目を合わせながら、自然と笑がこぼれた。

(第14話に続く)







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