金色の陽と透き通った青空
第17話 また離れ離れに
智弘は祖父である総帥から、玖鳳家とはもう無縁の者だと縁を切られ追い出された身。だから総帥とはもう無関係だと、頑なに戻るのを拒んだ。だが、幼い頃より愛も無く厳しく育てられてきたとは言え血の繋がったたった1人の家族だ。本当は、心配で会いに行きたいのではないかと杏樹は思った。
杏樹の事を気遣って、やっと夫婦として心が通い合ったのに、また離れ離れになって淋しい思いをさせたり、不安がらせたり、心がすれ違ってしまう事を恐れて、行くのを躊躇しているのではないかと……。

 ――杏樹は思った。
 そうだわ。私が彼の背中を押してあげれば、気兼ねなく、おじい様に会いに行く事が出来るだろう。
 また引き裂かれるような事をされないか、彼が戻って来てくれなかったらどうしようと、色々不安が無い訳では無かったが、たった2人きりの家族だ。許される身ではないけれど、私にとっても義理のおじい様……。おじい様も口では強気な事を言ってたが、本当は会いたいに違いない。

 自分の我が儘を通して、彼をここに引き留めて、一生おじい様と会えなくさせてしまったら、彼は心の中に後悔の気持ちをずっと持ち続けてしまうかもしれない。そんな事はしたくなかったし、させたくなかった。何と言ってもたった1人の身内だ。

 私にはもう血の繋がった家族は誰もいない。だから、会いたい気持ち、淋しい気持ち、心配する気持ちが痛い程分かる。

 杏樹はとりあえず、東京からはるばる尋ねて来たのだからと、智弘とゆっくり話しが出来るように、関谷を客間にも使っているダイニングルームに通して、コーヒーとお手製の焼き菓子を出した。

 関谷の話しでは、総帥は意識は取り戻した物の寝たきりの状態で、容体も不安定で、いつ不測の事態が起きるか分からないような状況だとの事だった。この事が外部には漏れないように、手を打ってはあるが、パッタリと姿を現さなくなった総帥に対しての悪い噂は少しづつ広まり始めているとの事で、更に、会社内部でも混乱が起きはじめており、悪い噂と重なり株価も下落し始めており、このままだと膨大な社員とその家族達が路頭に迷ってしまう事態も起き兼ねないとの事だった。

 杏樹は智弘に、正直な今の自分の気持ちを伝えた。

「智弘さん、おじい様に会いに行って来て!!会社の方も大変みたいだし、この状況を見過ごす訳には行かないと思うの」

 大会社の1人息子。沢山の社員とその家族達の事を無視して好き勝手には出来ない。公人に等しい立場でもあるし、責任のようなものもある。総帥が元気な内は、我が儘も通ったかもしれないが、状況が変わってしまった。
 多くの社員の生活と家族を守る責任がやっぱりあると思った。そして、今行かなかったら彼はきっと後悔する。智弘さんに後悔して欲しくないと思った。

 智弘は、心配そうな顔で杏樹を見て言った。

「杏樹はそれでいいのか? 離婚届を書かされ、玖鳳家を追い出され、君がどれだけ酷い仕打ちをされて来たのか? それなのに許せるのか?」
「確かに、色々あったけど、智弘さんは離婚届を破棄して、私を追いかけて来てくれたじゃない。そして、今日までとても大切にしてくれたし。それで、十分だわ。あなたの温かい優しい本当の姿を知って、過去の事はもう忘れようと思ったの。と言うか、いつの間にか自然と忘れてしまったわ。あなたを信じてるし、不幸になって欲しくないし、後悔して欲しくないし、たった1人の家族じゃない。会いに行ってあげて!! 会社の事も放っておけないわ。あなたの力を皆、必要としてるのと思うの」
「でもなぁ……」
「私の事は心配しなくて大丈夫だから。ここであなたの帰りを待っているから。今後の事は落ち着いてから話し合いましょう」
「今後の事って……」

 ちょっと不安げな智弘。

「離婚はしないから、私達夫婦よね? だから、これからの事を2人で解決して行きましょう」
「それで本当にいいのか?」
「ええ。もうあなたを追い返したりなんてしないから。ずっと待ってるから、安心して行ってきて!!」

 それから暫く考え込んでいたが、決心したように智弘が頷いた。

「分かったよ……。兎に角、総帥の見舞いに行ってくるよ」
「本当は、私もお見舞いに行かなくてはいけないのかもしれないけど、会えるような身じゃないから。私はここからおじい様が良くなるようにと祈ってるわね」
「ありがとう……。俺も、なるべく早く戻って来るようにするから……」
「無理はしないでね」
「ああ……。杏樹も昔みたいに無茶しすぎて体を壊さないように気をつけるんだぞ。俺の一番の大切な家族は杏樹なんだからね。その事を忘れないで欲しい」
「ありがとう……あなた」

 智弘は杏樹から『あなた』と呼ばれて、心が切なく震えた。やっと夫婦らしくなって来始めた所だったのに……。もっともっと一緒に居たかったのに……。ほんの僅かとは言え離れたくないような、一緒に東京まで連れて行きたいような気持ちだった。

 血の繋がった祖父の容体の事はとても気になるが、杏樹の事も心配だ。やっと手に入れた大切な大切な宝物。離れたくない……。
 それに何やら嫌な予感の様なものがした。何なのかは分からないが、見えな不吉な予感と言うのだろうか。だが、俺は絶対に杏樹とは別れ無いし、杏樹もきっとそうだ。
 2人の心がしっかりしていれば、この先もきっと大丈夫!! 智弘は決心した。

 ――翌朝、簡単に支度を整えると智弘は関谷と共に、関谷が乗ってきた車に乗り込んだ。

「いってらっしゃい」
「ああ……。なるべく早く戻って来るから」
「心配しなくて大丈夫よ、待ってるわ」

 お互いに身を切られるような気持ちだった。

 杏樹は思った。
 離婚届を書くように強要されたあの時よりも今の方がずっと辛く苦しい。いつの間にか、自分にとって大きなかけがえのない存在になってたのね。でもあの時のような絶望感はない。辛く苦しいけれど、私の所に戻って来てくれると言う心の支えがあるから。

 待ってるからね。この先の2人の幸せの為に。1つ1つ問題を乗り越えて、一緒に頑張るつもりで前に進んで行きましょうね。


 * * * * *


 軽井沢で智弘と一緒に迎える初めてのクリスマスだった。一緒に飾り付けをしながら、杏樹は幸福な気持ちに満たされ、他愛ない小さな夢をあれこれ思い描いていた。プレゼントは何にしよう? お料理は何がいいかしら?
 クリスマスシーズンはかき入れ時で、お店が忙しくて、そんなに手の込んだ料理は作れないけれど、前もってコツコツ準備して置こう。
 ストーブでコトコトとビーフシチューを煮込んで……。マッシュポテトの山に、ブロッコリーや星形にカットしたニンジングラッセやミニトマトでクリスマスツリー風のサラダを作って……。ガーリックフランスパンに、サーモンマリネ。シャンパンと赤ワインどっちがいいかしら?

 ――だけど智弘はいない。
 1人のクリスマスは淋しくて、結局普段通りで何もやらない事に決めた。

 小屋裏部屋に続く緩やかな階段……手すり。杏樹が落ちないようにと智広がリフォームしてくれた。
 そして小屋裏部屋には、大きめのベッド。智弘がいないとベッドがやけに広く感じる。毎晩、星を眺めながら、あれこれとお喋りしたり……。智弘の広い胸と大きな腕に包まれて、安堵の気持ちで眠りについて……。淋しいなと思った。無性に淋しい……。

 総帥は半身不随の寝たきり状態となり、意識はハッキリしているそうだが体の自由が利かない体となり、総帥の業務は臨時で智弘が代理で受け持つ事となり、色々残務整理に追われて、ゆっくり電話をする時間も無く、簡単なメールの交換だけの状態が続いている。

 もう表舞台に立てなくなってしまった総帥から、今までの事を詫びられ、智弘は何度も社の事を任すと頼み込まれ、体調も不安定な状態で心臓も弱っている総帥の体の事を気遣って、断る事も出来ず、今後の事をどうすればいいのか、困り果てていた。

 この事は杏樹にも相談したが、杏樹もどう返答していいいのか分からなかった。

 会社を捨てて、自分の所にもどって来て欲しいだなんて……。そんな事とても言えない。沢山の社員と家族、会社と関連のある企業の社員とその家族の生活だってある。
 だけど、もう智弘と別れる事も出来なくなっていた。杏樹自身も智弘を必要としている。でも、自分のお店を閉め、ここを離れる事も出来ない。お店を必要としてくれてる沢山の人達がいる。
自分の熱い思いの籠ったお店。簡単に離れられない……。

 兎に角、落ち着いたら一度智弘がここに戻って来て、その時じっくりと話しあって決めようと言う事になった。

 ――そんなある日の事だった。

 杏樹の店の前に東京ナンバーの高級外車が止まり、中から杏樹と同年齢ぐらいの華やかな美しい女性が降りて来て、お店の中に入って来た。

「いらっしゃいませ」
「こんにちは、あなたが杏樹さんですか?」
「はい」
「実はお客として来たのではなくて、杏樹さんとお話しがしたくて来ましたの」
「は……い」
「実は私(わたくし)、杏樹さんと離婚話が出ている頃、智弘さんの再婚相手として総帥から是非にと望まれた、鷹乃宮千晶(たかのみや ちあき)と申します」
「えっ?」

(第18話に続く)










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