泡沫(うたかた)の落日

第15話 本当の私

 あれから2週間。個人情報保護法が妨げとなり、情報収集が難しい現状ではあるが、僅かだが分かって来た事があった。
 離婚後鷲尾氏は、頻繁に引っ越しを繰り返し、住所移転と共に転籍を繰り返し、離婚前の戸籍の状況を掴む事は非常に難しかった。
 離婚後本籍を変更しなければ、筆頭者である鷲尾氏の籍から、離婚した妻が除籍となり×印が記録として残る。仮に、もし双子だと仮定し、両親それぞれ一人づつ親権となった場合、妻側に引き取られた子のみ『子の氏の変更許可申立』をする事により、鷲尾氏の籍から除籍され、×印が記録に残る。だが、離婚時に居住していた地域以外に住所と本籍を移動すると離婚した妻の記載や除籍された子の記載が消えてしまうので、離婚時以前の家族状況も分からなくなってしまうのだ。
 暗礁に乗り上げたかと思ったが、一戸籍内の全員の記録が除籍簿として150年(H22.6.1改正)保存される事が分った。
 恐らく聖愛と姉妹である、今は名無しのメイは、藤城聖愛として除籍謄本を取り寄せてみた。そして分かった事は、やはり双子の姉妹だったと言う事……。聖愛が姉で、妹の名前は“結愛(ゆな)”。

「私の本当の名前は結愛?」

 震える手で除籍謄本を握りしめ、名無しで得体の知れない存在だった結愛は、声を震わせた。沢山知りたい事はあるけれど、一つ大きな謎が解明出来た!! 自分の真実の名前が分かったのだ。これはとても嬉しい事だ。

「やはり、双子の姉妹だったんだね。結愛か……。君らしくてとてもいい名前だ……」

この姉妹にどんな事情が隠されているのかは分からないが、双子だったと言う事実は嶺司にとっては喜ばしい事だった。まるで心に重くのしかかっていた大きな石ころが一つ取り払われたような気持ちだった。あの聖愛とは別の瓜二つの天使が目の前に存在すると言う事実。そして自分の愛した人はやはり結愛だったのだと、再確認した。

「お母さんの名前は“川上真琴(かわかみ まこと)”と言うのですね。私の本当の名前は、“川上結愛(かわかみ ゆな)”なのでしょうか?」
「離婚後君のお母さんは、“川上”姓に戻っている事が判明したから、その可能性もあるが……。(だけど……)」

 嶺司は、結愛の母親について分かった事があった。だが、その事を伝えた時、彼女はきっと心傷めるであろう……。その事を考えると話す事が躊躇われ、その機会を逃してしまい、今日まで来てしまった。だが、やはり話さなければ……。

「実は、君のお母さんの事で色々分かった事があるのだが……」

 結愛は、嶺司の曇った表情を見て、あまり良い話しではないのだと悟った。

「悪い事でも何でも、全ての事を知りたいと思ってます。だから……。私に遠慮しないで何でも話して下さい」

 結愛は『私は大丈夫です!!』と訴えかけるように、真っ直ぐな澄んだ瞳で嶺司を見つめた。
 その瞳を見た時、ふと嶺司は、姿形は聖愛と瓜二つなのに、聖愛の様に凍りつくようなゾクリとする曇った瞳ではなくて、彼女の瞳は、なんて清らかで綺麗な瞳なんだろうと思った。それは、陽の光が柔らかに射し込む青々とした深い森の奥で懇々と湧き出る澄んだ水のような……。ふとそんな情景が浮かんできた。ほんの一瞬だったと思うが、その瞳に捉えられ、うっかり見蕩れてしまい、一瞬言葉を失ってしまった。
 ハッと我に返って、あの話しをしなければと自分を檄した。彼女の澄んだ瞳を曇らせてしまうかもしれない事に心が痛む。
 
「実は……。とても残念な悲しい話なんだが……。君のお母さんは、離婚したその1年後に病死されてるという事が事が分った。更に亡くなられるその数ヶ月前に、君は養子に出されたようで、お母さんの籍から除籍されてると言う事が分った。除籍された君は、鷲尾家には戻されて無いから、私の推測では、重い病気を抱え、自分の余命を悟ったお母さんが、君の将来の事を色々考えて、信頼出来る誰かに君を養子として託したのではないかと思えるんだ。離婚後一年なら、君はまだ4歳だったはずだから、特別養子縁組と言う可能性もある。その場合は、戸籍に“養女”という記載はされなくて、一見分からないような『民法817条2』という書き込みはされるが、“長女”“次女”のように、実子と同じ表記となるから、記憶を失う前、養子に出されたと言う事実を知らないで、新しい家族とずっと過ごして来た可能性もあると思う」

 結愛は顔を青ざめさせ、少し動揺してるような驚きの表情で、嶺司の話しに耳を傾けた。母親がすでに他界している事はとてもショックだった。更に養子に出されていたとは……。二重のショックだった。

「君を見ていて感じるのだが、君は養父母から愛情を沢山受け、とても大切に育てられたのではないかと思うんだ。それにきちんとした家庭だったのではないかなってね。あの、朝食を作る時の手際の良さ、朗らかに鼻歌を歌う姿……。好奇心旺盛で、純粋で真っ直ぐで、人を落とし入れるとかそんな企みや暗さも微塵も無くて、君を愛する家族に守られながら伸び伸びとスクスクと育ったのではないかと……。人はちょっとした所作や言葉に、育った環境が繁栄される事もある。だから君の今の家族はとても温かないい人達ばかりだって、そう思えるんだ」

 嶺司は、結愛の不安を払拭させるような、柔らかな優しい表情をして言った。

「そうだったら良いなって思います。私が一緒に暮らしていた家族は今、私の事を心配してくれているでしょうか? 今、一生懸命探してくれているのでしょうか? もしそうじゃなかったらとても悲しいなって……。もし、私には家族が居なくて、私が今まで住んでいた場所から居なくなっても誰も心配もしてくれなくて、探しもしてもらえなくて……。もしそうだったらと思うと、とても不安になって悲しくなって来るのですが……」
「絶対に大丈夫!!君は孤独ではなかった。温かな幸せな家庭の中に居た。そう思うよ。それに……」
「それに?」
「私が側にいるし、ずっと君を支えたいと思ってる」

 その瞬間、結愛の瞳がほんの僅か戸惑うように泳いだ。
 嶺司さんの事は、とても親切でいい人だと思っているし、心魅かれているのも確かだと思う……。だけど……。自分の中の本能のような、何かが、自分に厳しく言い聞かせて来るような、強く抑制されるような感情が沸き起こってたまらなくなるのだ。
 この人は、誰かの物であり自分が好意を持ってはいけない人……。決して結ばれない運命のような……。漠然となのだが、何かが大きな妨げとなって、自分の我を押し通せば、良くない事のような道理に反するような……。それが何なのか? モヤモヤと霞に覆われているようではっきりとは分からないのだが、いけない事なのだと強く感じた。

「ありがとうございます。でも、本来私の居るはずだった場所が分かったら……。その場所に帰ろうかなと……」

 その瞬間、嶺司に突然抱きしめられて、結愛は頭の中が真っ白になり、心臓が大きく波打ち固まってしまった。驚く反面、その筋肉質で広い温かな胸が心地良く感じ、いつまでもこの場所に居たいような、ずっと、こうされていたいような切ない気持ちが波のように押し寄せてきた。でも……。

「結愛……。君の記憶が戻って、君が元居た場所が分かったとしても、ここから出ていかないで欲しい。ずっとこのまま私の側にいて欲しい。そう願ってる」

 嶺司のその言葉にハッと我に返り、結愛は、心を鬼にしてその手を振り払うように、嶺司から離れた。その瞬間、嶺司の顔が曇った。

「嶺司さんは、私の姉である聖愛の旦那さんだった人です。だから……。だめです。そんなの……いけない気がします」
「聖愛とはもう別れて半年も経ってるし、その結婚も、君と聖愛を取り違えてしまった結果招いた、不幸な結婚だったんだ。聖愛と君が双子だと知った今ならはっきりと分かるが、私がずっと心魅かれ結婚したいと思い願った人は君だったんだ」

 真っ直ぐで真剣な嶺司の瞳に、ほのかに思い心魅かれている結愛の心は囚われ、その広い胸にいっそ飛び込んでしまおうかと、そんな気持ちに誘われそうになる。だけど……。その気持ちに封印をかけた。

「私……。嶺司さんの事は、とても親切にして下さって、優しくていい方だと思いますし、“お友達”として好意を持ってますが……。ごめんなさい。それ以上の気持ちはありませんし、今、とても戸惑っています」

 結愛は、今発したその言葉が嘘で固められた偽りの物だと自覚した。青年のように純粋な優しい嶺司さんの、偽りのない誠実なその言葉に対して、なんて私は不誠実で嫌な人なんだろうと、自分が嫌になるような気持ちになったが、今、嶺司さんのその言葉に甘えて、その胸に飛び込んでは決していけないとそんな気持ちがしてならないのだ。

 何処か遠い所から、聖愛の高らかな嘲笑が聞えて来たような気がした。

(第16話に続く)
 


 
 
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