重なる身体と歪んだ恋情

「司か」


返ってくる声に「失礼します」とドアを開ける。

彼はタイを緩めた状態で開け放たれた窓の前でワイングラスを手にしていた。


「千紗様は落ち着かれました。やはり脱水症状で、一晩寝れば回復するだろうと」

「元には戻らないけどね」


クスクス笑う声はまるで泣いているかのように聞こえる。


「そう思うならもっと彼女を大切に――」

「していたつもりだ。それを拒んだのは彼女だろう?」

「奏……」

「なのに彼女は記憶さえも摩り替えて他の男に」


どういう意味だ?

怪訝に眉をひそめる私に奏はフッと笑って、


「酔ったのかな、忘れてくれ」


とまたワインを口にする。そして、


「お前もどうだ?」


空いたグラスを私に掲げて。

その誘いに私は手を伸ばしてしまった。

そして注がれる赤い液体。


「自分のものが取られるというのは何度味わっても嫌なものだな」

「取られるなど……、お前はいつだってその手に持っているだろう?」


彼の手には何でもあるはずだ。

地位も金も権力だって。

そして千紗様も――。


「一番欲しいものは手に入らない」

「……」

「例えば父の期待。彼は私にではなく司、お前に期待していたのだよ」

「馬鹿な……」


本当に酔っているのかも知れない。こんな弱い自分をさらけ出すなんて。


「いや、事実会社ですらお前に任せようとしていた」

「違う。あくまで私は奏の補佐で」

「今となってはどちらでもいい。親の愛情を欲しがるほど子供では無いつもりだしな」


自嘲に満ちた彼の笑み。

奏より私のほうが先に会社で働くようになった。それは当然生活のためで。

そんな私を彼の父親はよく目をかけていてくれたと思う。でもそれは、

『奏を頼む』

奏のためだというのに。


「彼女にしたって――」


そこまで声にして奏では口をつぐんだ。

前から聞きたかった。


「奏」

「ん?」

「どうして彼女なんだ?」


別に公家のお嬢様が欲しいなら彼女でなくても良かったのではないか?

そう思うのに、


「お公家様だからだよ。しかも借金まみれで簡単に手に入った」

「……嘘つきだな」

「事実だ」


奏はやはり本当のことを話してはくれなかった。
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