ホーリー 第一部

 人気のない黄昏時、雨はいつの間にか止んでいた。少年は、ロミーの待つ街をひとりでぶらついていた。ロミーのいる場所は大体見当がついていた。それでも、少年はなかなか其処に行く気分にはなれずに、ひとりで街をぶらつくのだった。コン、コン、と木靴が石畳を打つ音が夕刻の静かな街道に寂しげに反響していた。


―――――


 あれから、少女はすやすやと気持ち良さそうに眠っていた。うさぎたちや、少年に見守られながら、ふにゃふにゃと、うれしそうな寝言をときどき洩らしていた。
 「うふふ、気持ち良さそうに眠っているね」
 「うん。じつはさいきん、ピノはほとんど“あんみん”ができてなかったのだ。でも、やっと、ひとまずだけど、こころのなかの霧が落ち着いたみたいだからね(・ω・)ノ」
 「それに、こうして四人がそろっているしのぅ。ほれ、“まんまるドロップ”じゃ(-ω-)ノ」
 そう言って、大きなうさぎはさんざん荒れ果てた室内にきらきらと浮かぶ、まあるい飴玉をのそ~っと見まわした。“まんまるドロップ”の効果が及ぶのはうさぎたちもいっしょで、うさぎたちもまた、ほんとうにうれしそうに、幸せそうにしているのだった。少年もまた、ひとまず難事を乗り切って、少女の心地良さそうな寝顔をうさぎたちと眺めては、とても穏やかな気持ちになるのだった。

 けっきょく、少年は、そのまましばらく其処に残って、うさぎたちととりとめもない話をしたり、散らかったお部屋の後片付けをしたり、それから、うさぎ同士がなにか真剣に話しているのを横目に見たりしていた。今回起きたことや、うさぎたちから聞き取れた情報から、何年もまえに似たようなことがあったということ、そしてそのときはまったく別の方法でより長期的な解決を見れたこと、そしてその手段がおそらくはもう取れないということ、そして、今、またあの“悪魔”が生まれてしまったということ、今回のような冗談じみたやり口は次回の霧の活性化に際してはたぶんもう通用しないだろうということ、などがわかった。それでも、うさぎたちは、その不思議な千里眼で、なにかもっとべつのことを、おそらくは解決にあたろうとする道筋の上での何がしかの展開を、心配しているようだった。

 まんまるいわっかの外に足を踏み出すと、少年はまたも無力感に襲われた。少年は異形の悪魔の絶望的な存在感を、それからそんなものが少女のからだのなかに今もいるのだということを考えると、目の前から光が消えうせるような気がした。少年はなんにも知らず、今回、いろいろとじゅんびを進め、来るべき悪魔の生誕に備えていたのはうさぎたちだった。けっきょく少年は無力で、無知で、ただ言われるがまま、促されるままに動いたに過ぎなかった。敵はあまりに巨きく、つかみどころすらなくて、ましてや、少年にはうさぎたちがそれ以外の何を心配しているのかもわからなかった。少年はこれからどうすればいいのか、けっきょくどうしたいのか、ぜんぜん見当もつかないままに森の中の小路を歩き、とぼとぼとロミーの待つ街に向かうのだった。

―――――

 しばらく歩いてから、少年はちいさなカフェに入った。ホットミルクにブラウンシュガーをふたつ入れて、くるくるとかき混ぜた。甘くて、暖かい味がした。ほっとする、どこか懐かしい心地がした。なぜだか、星型のバター・クッキーがあたまに浮かんだ。きっと、それがあればもっと心が安らぐだろうと想った。それはなかったけれど、ホットミルクの暖かい感触に心を溶かし込むと、じぶんが、また“じぶん”に依り過ぎているのだということに気がついた。無力だとか、無知だとか、そんなことは“じぶん”のことじゃないか、もんだいはピノがすこしでもピノでいられるかどうかなのだから、とそんな風に考えながら、少年は窓の外、小路を挟んだ一角を眺めた。
 やっぱり、ロミーがいた。5、6人の人だかりに囲まれていた。少年の位置からはよく見えないけれど、たぶんジャグリングをしたり、腹話術をしたり、ヤギの鳴きまねをしたり、空から野菜やおぼんを降らしたり、口から火を吹いてみたり、なんやかんやと大道芸じみたことをしているのだろうと思った。ロミーは何年か前までサーカスの一団にいたみたいで、ひととおり、いろんな芸ができるのだった。今のロミーは魔法と体術の妙で驢馬車を駆っては主食のにんじんをもらって、空いた時間にこうして日銭を稼いで暮らしを立てているのだった。そんな彼の芸も、驢馬車を駆るリズムの妙も、ほんとうにふくよかな人間味を持っていて、少年はいつもそんなロミーに心を癒されるのだった。
 パチパチパチと、拍手喝采の様子が起こった。人だかりがまばらに散っていってから、ロミーはこちらに歩いてきた。ロミーはいつも一仕事を終えたあとは、このカフェに寄っているらしいのだ。

 「おかえり、ロロくん」
 ロミーはうしろから少年に声をかけた。
 「ありゃ、気づいてたのか」
 「あたりまえじゃないですか、ロロくん」
 と、さも当然そうにロミーは言う。ロミーはキャロットジュースを注文してから、少年のすぐ向かいの席に座った。
 「ん~!うんまいですな!にんじん!!」
 ロミーは、ごきゅごきゅと、ほんとうにおいしそうにキャロットジュースを飲む。
 「それにしてもですよ。ロロくん。ロロくんのつくるまんまるにんじん。ありゃ格別のうんまさですな!」
 う~ん。うれしいんだけど、、なんだかあつくるしいなぁ、無駄に。と少年は思うのだった。
 「もう、あれを食べると元気がみなぎってね、ほら、口からだって、こんなに火炎がほとばしっちゃう」

 ゴオオオッと口からファイヤーブレスを吐く。おいおい!まったく、自由なやつだ。おかまいなしだ!誰かが燃えたらどうするんだ?と少年は思った。いや、それ以前の問題か、とすぐに思いなおしたけれど。

 「それにあの泥人形、あれはもうゲージュツ品の域ですな!あれをかちんっとはめると、驢馬車はすいすい動いちゃうし、ときどききれいな光を放つしで、こりゃもう、どっきどきのわっくわくですな!」
 ロミーはほっとくと、すぐにこうやってひとりでまくし立てるのだ。まったく、ハーピみたいなやつだと少年は思った。
 「ドのクラいツよいのカトイうとォオ・・・・コノくらイイイイ!!!!」
 もはや意味不明のことばを叫びながら、その硬い蹄でパパパパン!パパパパン!!とけたたましい音を打ち鳴らす。店内で。さすがに、まわりのお客さんや店員さんからの白い目線が集まる。ていうか
 「おいおい!おまえは携帯電話で操作されてマシンガンぶっ放すコミュニティのおっちゃんかい!!」
 ちっ。思わず、つっこんでしまった。あ~、これで同類だ。オペレーション・ジ・アカノタニンが決行できなくなってしまった。もとより、向かい合って座っている時点でその作戦はほぼ不可能なのだけど、突っ込んでしまっては元も子もない。と少年は落胆した。けっきょく、仕方がないので笑ってやることにした。ロミーもまた、これ見よがしにヒヒーンと笑っていた。それにしても、じぶんはなにを言ってるのだろうか、ときどきこんなことがよくある。知らないことが、口をついて出てくる。みんなもそうらしいけれど。たぶん、世界が失っている記憶の片鱗なのだろうか、と少年はひとりごちた。
 「てかね、ロミーくん、あのさ、もしかして酔っ払ってない?」
 「あたりまえじゃなイカ!!!!」
 一点のブレも迷いもない。なぜに誇らしげですらあるのか。だめだよこりゃ!ロミーくんはキャロットジュースで酔っ払うらしい。驢馬なのに。
 「ふぅ、ロロくん、ちょっとは、元気になったみたいだね」
 しれっと、素に戻ってロミーは言った。すべて計算で(いや、たぶん半分以上は悪ノリで)やっていたのだ。それにしても、やりすぎだぞ、ロミーくんよ、と少年は思うのだった。
 「お・ま・えのおかげでなっ。ロミーくん。ったく、へんな元気でてもたっちゅーに!」
 そう、少年はロミーと居るといつも調子が狂った。いつもこうやってあたりまえにペースを握られて、サーカスみたいに気持ちをぐいぐい引っ張っられて、気がついたら心はいつもロミーのそばに居た。
 「あはは。どーせ、またロロくんがじぶんの持ってるものの価値をないがしろにしてるんじゃないかって思ってね」
 それに、こうやって、さらっと見透かしたようなことを言う。まったくもって的外れに。いい加減に。
 「さっきも言ったけれどね、ロロくんのつくるまんまるにんじんにも、泥人形にも、ちゃんと大切なものが宿っているよ。それに、あの日、歌っていた歌はきっといくらかの光を放っていたはずだよ。素朴だけれど、とても切実で、やさしいメロディーだったから。あのね、“意味”を伝達したり表象化する力が足りなかったり、方法が間違っていたりするってことと、“意味”そのものがないということは、まったくもって似て非なるものなんだよ。いやいや、似てすらないんだよ。いろいろと想いつめることもあるだろうけれど、心閉ざしがちになっちゃうだろうけど、ロロくんはあくまで“仔犬”の亜人で、それに根っこにはちゃんと意味も意志も存在しているんだってこと、これは阿呆なロバ男のことばだけど、一応心に留めておいてね」
 おだやかに、ねぎらうように、ロミーは云った。少年は(そしてむしろぼく自身が余計に)ハッとした。そうだ。“無意味”だと切り捨てることは卑怯なことなのだ。それは創意や工夫、努力の放棄に過ぎないのだ。ぼくらはそう思い直させられた。やさしいロミーくんは少年に其処まで厳しいことばを言うことはなかったのだけれど。あるいは其処までじぶんじしんで思い当たるということまで、見透かしていたのかもしれない。


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