ホーリー 第一部
 
 少年と少女はふたり乗りの、ちいさな驢馬車に乗り込んだ。少年は前もって用意しておいた、とても丁寧に練られた馬の泥人形をひとつと、まんまるいにんじんを二本、驢馬に渡した。驢馬はもらったにんじんを一本はむしゃりむしゃりとあっという間に食べてしまい、もう一本を懐に入れる。それから、馬の泥人形を馬車の側面にある凹みにカチンとはめた。
 「なるほど。なるほど。かぼちゃタウンを経由してからの、きのこハウスですな」
 「ありゃりゃ、さすがはさすがはロミーくんっ。よっくわかってらっしゃるっ」
 「うむうむ。うむうむ。それではそれでは、参りまするぞっ」
 「うんうん。うんうんっ。よろしくよろしくたのむのだっ」
 と、勢いの良いやりとりとは対照的に、馬車はとても遅く、ゴトゴトと進んでいく。少年の棲んでいる巨きな樹の館からゆっくりと離れ、森の中を、お昼寝している昆虫や動物たちを起こさないように静かに静かに通り過ぎる。森を抜けると、今度はなんにもない原っぱの細長いわだちをゆっくりゆっくり走っていく。道中、馬車の中で哀しそうに歌う少女の心を透明に映して、馬の人形がサラサラと澄んだ光を放っていた。なんにもない原っぱで、このちいさな魔法に出くわした寂しがり屋のカマキリやはみ出しもののキリギリスたちは、わだちのまえにまばらな塊りをつくって、馬車が通り過ぎるのをじっくりと見まもった。そうして、通りすぎて遠くになっていく塊りから、彼らの安らぐ声や、涙にむせぶ声が聞こえてくるのだった。少年はその光景をまっすぐ見ることができなかった。少女に向かって笑いかけてはいるものの、心の中ではまたちいさな影絵の炎がチラつくのを感じていた。

 川を渡るころには、少し、雲が広がっていた。それでも、光はうっすらと雲間をぬって、暖かい手触りを少年たちのところまでまっすぐまっすぐ運んでいた。川面には薄い靄が立ち込めて、その一粒一粒が瑞々しくやわらかいきらめきを放っていた。仄かな風に揺られて立ち上った穏やかなさざ波が、ゆるやかにゆるやかに、何処までも続いていた。
 驢馬の馬車は、シャボンでつくられた橋を渡った。川の上に浮かぶ大きなシャボン玉がいくつも連なって、川を越えるための橋をかたち作っていた。少女と静かにことばを交わしながら、少年は窓の向こうに広がる景色に見とれた。透き通ったシャボンの膜が、川面の光景をよけいに尊く感じさせていた。少年は、なんていい日なんだと想った。幸せが今此処にあるのだと、そう想った。
 川を越え、しばらく進むと、巨きなかぼちゃがたくさん立ち並ぶ一角に出た。中身をくり抜いたかぼちゃはそれぞれ、住居やお店として使われている。少年たちはそこに一度馬車を停めて、アイスクリーム屋に入ることになっていた。
 「じゃ、ちょいっといってくるから、待っててね、ロミーくん」
 「ほいさっさ~っ。ま、ま、ゆっくりゆっくりしてきなされ」
 「うん、うんっ。じゃ、じゃ、よろしくよろしくたのんでおくのだっ」
 そう言って、少年は少女をつれてお店の中に入っていった。

 少女はちいさなかぼちゃの容器に詰め込んだ色鮮やかなアイスを頼み、少年は透明な石盤の上に乗せたシンプルなバニラアイスを頼んだ。かぼちゃの容器の中では、かぼちゃ型のクッキーや、サイコロみたいなブラウニー、それにほんわり渦を巻く生クリームや、三日月をかたどった黄色のチョコレートたちがにぎやかに笑っていた。
 「にゃ、、おいしくってしあわせにゃぁ・・・」
 少女は耳をふにゃんと垂らしながらため息混じりに言う。
 「うんっ、三日月からぽわんって光がもれて、かぼちゃのランタンみたい。それに中の楽しそうなお祭りを覗き込んでいると、だんだんうれしくなってくるねっ」
 「んにゃ、んにゃ、、楽しくってしあわせだにゃぁ・・・」
 少女は、またため息混じりにそう言う。
 「にゃにゃ、、シェフのあいすはどうなの・・・??」
 「うん、おいしいよっ。ほら、お皿もこんなにきれいだよ」
 そう言って、少年はじぶんの手元にある透明の石盤を指し示す。石盤の上に、バニラアイスが白雪のように静かに落ち着いている。少年が雪かきのようなスプーンでさくっとすくうと、その跡に残った液体がすーっと消え入るように石盤に滲み込んで、淡い幽かな白光を放つ。
 「ね、このお皿の中は、なんだか透明な宇宙みたいでしょっ。もしかしたらこうしてひとつ光が生まれる度に、何処か遠い遠いところでちいさな星がひとつ生まれているのかもしれないよっ」
 「ほにゃぁ・・・だとしたらなんだかふしぎだにゃぁ・・・」
 少女は、少年の言ったことがまるでほんとうであるかのように、遠い遠い何処かのあたらしい生命に想いを馳せるのだった。

 少年たちはしばらくかぼちゃの家でくつろいでから、目前に迫ったお別れを惜しむように、ゆっくりと席を立った。外に出る頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
 「そういえば、、あの町で、不吉な霧が増えはじめてるみたいだね…」
 少年たちは再び馬車に乗り、少女の棲む巨きなきのこの家へ向かっているところだった。
 「んにゃ・・・そうみたいだにゃ・・・それにさいきん・・・あの仔はしんどいのにゃぁ・・・」
 少女の意識は、何処か遠くの町に住む女の子とつながっていて、少女は時折、まるでじぶんのことのように“あの仔”のことを話すのだった。少年の方もときどき“あの仔”とおなじ町に住む青年の夢を見るので、ふたりはよく、遠い知らない世界について話をするのだった。
 「そっか…」
 少年にはそれ以上、かける言葉が想い浮ばなかった。少年は“あの仔”のことをまだ夢の中で見たことがなかった。なによりも、少女の沈痛な面差しが、とても安易なことばをかけられるような状況ではないことを切実に物語っていた。
 「……海沿いの地域でも、また不吉な霧の空が近づいてきてるって…」
 少年は、しばらく間を置いてから、話題を少し逸らそうと、自分たちの世界のことを話した。

 「んにゃ・・・」

 「なんでも、霧の落し物を拾った住人が奇妙な病気にかかったり、自然がおかしくなってる場所が少しずつ増えてるみたいなんだ……それに強い風の日のあとには、どの町でも苦しそうな心が増えているって…」
  
 「そうだにゃ・・・だからピノは、歌で少しでも訴えたいのにゃ。少しでも安らいでほしいのにゃ」


 少年の中でちいさな影絵の炎が静かに揺らめく。

 「ピノ……でもね…あの“霧”がなんなのか、考えたことはある……?」
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