ホーリー 第一部

 「んにゃ・・・?」

 「ほら、夢の中の青年が、ときどきあの“霧”のことについていろいろ勉強してるみたいなんだっ」

 「にゃ・・・?」

 「もしかしたら“霧”の暴走には、彼や“あの仔”の生活がいくらかは関係しているのかもしれないよっ」


 「・・・・・・」

 「なんでも、彼らの“魔石”に頼った生活と、“霧”の蔓延に、なんらかの因果関係があるのかも知れないんだって」
 「そもそもあの“魔石”って、いったい何処からやってくるのかな??」
 「それに、あの遠い世界と、この世界はいったいどういう関係にあるんだろうか…?」



 「・・・・・・」

 「そもそも、あの“霧”の空は、いつ、どうやってできたんだろう??」




 「・・・・・・・・・」


 「ねぇ、だれも知らないなんて少しおかしいと想わない??」

 「・・・・・・なにがいいたいにゃ・・・?」

 ずっと黙りこんでいた少女は、重たそうに顔を上げ、ぶしつけに言い放った。

 「あのね…もしかしたら……ぼくたちも何処かで加害者になっていて、知らんぷりしているだけなのかもしれないんだよっ。ピノやあの仔だって、被害者であると同時に加害者でもあるのかもしれないんだよ」




 「・・・・・・・・・」

 「ほら、あの石盤の中が何処かの宇宙とつながっているように、ぼくらの業も遠い何処かの哀しみも、お互いに複雑な相関関係を持っているかもしれないんだよっ」






 「・・・・・・・・・・・・」

 「じつはね、ピノのお歌は、とても心に響くし、ほんとうにやさしいと想うんだ。でもね、そのへんのことも深く考えてみて、もう少し客観的になった方が、もっといろんな人の心に訴えかけられると想うんだ。手厳しい人って、そういう論理の深みみたいなことにほんとにうるさいしっ」






 「・・・・・・・・・・・・・・・」
 「・・・・・・・・・・・・・・・」
 「・・・・・・・・・・・・・・・」
 「・・・・・・・・・・・・・・・」




 永い沈黙が続いた。少年は自らの心の中で、影絵の炎がひとまず収まるのを感じていた。あたりはもう真っ暗になって、秋口のうら寂しい空気が克明に立ち込めていた。

 「今日はありがとう」
 きのこの家の前で、少女がよそよそしい声で丁寧なお礼をする。
 「ううん。こっちこそありがとね。また遊びにおいでね」
 少年は少女の仕草や表情が鉛のように重いのを感じながら、まるで弁解でもするように精一杯優しい声を造って言った。
 「・・・・・・あの仔のこと・・・ピノのこと・・・なんにも知らんくせにえらそうな事言わんといてくれる??」
 少女はまるでべつの誰かになったみたいに、乱雑に言い放った。ギスギスとした、死んだ金属のような目をぼんやりと少年に向けていた。そうして、すぐに戸口までぶっきらぼうに駆けていく。
 「…ごめんよぉぅ……また…遊びにきてね……」
 戸口を通り抜けた少女に、少年は懇願するような甘い声をかける。 
 「いいよ。もう二度と知った風な口きかへんかったらね」
 少女はぴしゃんと戸を閉めた。

 少年はしばし呆然とした。茫漠と馬車に揺られながら、なにも考えることができなかった。しばらくたってから、ようやく事態を認識できた。取り返しのつかないことをしてしまったと想った。少年は激しく暴力的な後悔に衝き動かされた。
 「ドン!!ガターン!!!!」
 少年は驢馬の馬車から想い切り飛び降りて、固い敷石に激しく身を打ち付けた。
 「利用した?利用した…?利用…した。利用した。利用した!!」
 少年はその意味もつかめないまま、ひたすら同じことばを繰り返した。
 「ロロくん・・・」
 少年の不在に気づき引き返してきた驢馬が、遠くから見まもっていた。

 それから驢馬は一言もことばを発しなかった。ただ暖かい、豊かな沈黙があった。驢馬はいつもよりゆっくり、ゆりかごのようなやわらかい振動が流れるようにと、工夫を凝らして走った。少年は激しい後悔と嫌悪に身を灼かれながら、心の片隅ではそんな驢馬に感謝していた。そうして、次第に少年の心も幾ばくかの平静を得て、それからはただ冷静に厳粛に事態を振り返っていた。

 少年は影絵の炎が揺らめくままに、少女に向かって、“有り難い助言”を浴びせかけた。そうして、単に個人的な鬱憤や捻れた劣等感を晴らしたのだった。少年は少女の持つ不思議な力に、深い癒しの力に陰ながら嫉妬していた。少年に少女は眩しかった。少年はあたらしい町で誰にも認められず、自分の力にも自信が持てなかった。だから自分を慕う少女の無邪気さを利用しようとした。もっともらしい“助言”を与えることで、光り輝く少女の上に立とうとしたのだ。自分がなにか間違ったことをしている、とてもおぞましいことをしているという自覚はあったけれど、一度滑り始めた饒舌を押し留めるには至らなかった。普段は使わない難しいことばを楯に、自分が少し強くなったような気がしていた。すべてを心の端にチラつく影絵のせいにして、短い帰り道に話をまとめられるよう、少し早口で問い詰めるようにして語った。表面だけはまるで少女のことを想いやっているように、やわらかく取り繕った声音を発しながら。
 
 「大切なものは心だった」
 少年は頭の中でそう繰り返した。驢馬のつくるやわらかいリズムに包まれるうちに、闇雲に吹き荒れる少年の激情はやがてひとつの、切実な強い決意へと変わっていた。
 「ぼくはピノを裏切ったんだ」
 「ピノの“心”を裏切ったんだ」
 「弱りきった大切な心がぼくに頼っている。そんなときにぼくは自分勝手な批判をした」
 「それがどれだけピノを傷つけただろう?」
 「その裏切りがどれだけ相手を傷つけただろう?」
 「ぼくはまたひとつねじくれてしまったの?」
 「もう二度とこんなことはしないよ」
 「影絵は未だに燃えている」
 「それでもぼくはまだねじれきってしまったわけじゃないんだ」
 「光あるうちに光の中を進もう」
 「大切なものを、ほんとうに大切にしたいよ」
 「光あるうちに…」
「まっすぐは無理でも…」

 少年は今この瞬間に、刻み込むようにして素朴なメロディーを紡いだ。そのとき、泥人形からは幽かな薄い光が漏れていた。誰もそれを見ることはなかったけれど、少女とは違う、べつの色彩の光が確かに闇夜に放たれていた。

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