色鉛筆*百合短編集
大切な人
ねぇ、貴女は今。
何を思っていますか?
「じゃあ、いっちゃん。また月曜日ね」
「うん。バイバイ、菜々子」
そう言って、友人は恋人と共に教室を出て行く。
お互いに小学生のときから片想いしていたって言うのに、くっついたのはつい最近。
まぁ……あの2人の間には簡単に越せない、心の中の壁があったからしょうがない。
同性を好きだって認めることは、かなりの勇気と覚悟が必要だから。
私も、そうだった。
――‐‐
『貴女が宮川慈美ちゃんね?』
ふわふわとした栗色の髪と優しい微笑みが、まるで天使のようだと思った。
中学に入り少し成績が落ち始めていた私に、母が知り合いの娘さんを家庭教師に就けることにした。
それが、彼女だった。
『私は皐月八重。宜しくね、慈美ちゃん』
八重ちゃん……あ、年上なんだけど堅苦しいのは嫌だから、タメ口とちゃん付けで良いって言われて…。
彼女は当時、大学4年生で。
3年の段階で内定を貰い、卒論も殆ど終わっていて余裕があると言うことで、家庭教師の件を了承したらしい。
中学生になったばかりの私にとって、八重ちゃんは凄く大人に感じた。
まぁ、そんな印象は最初だけで……直ぐにおっちょこちょいだって分かっちゃったんだけど。
だって、あるときなんて。
『あ…ご、ごめん!間違えて、高校生の教科書で問題作っちゃった!慈美ちゃんが中学生だって忘れてたよー!』
通りで、習ったことも無いような問題ばっかりだと思った。
『慈美ちゃんって、大人っぽいからね!』
いや、そんな自信満々に言われてもね…。
とにかく……八重ちゃんはしっかりしたところも勿論あるけど、基本的には天然。
私も…お姉さんが出来た気分になったり、妹が出来た気分になったり。
そんな親しみやすい彼女だから、直ぐに打ち解けて勉強以外のことも話すようになった。
一緒に服を買いに行ったり、化粧をして貰ったりもした。
同年代の子と遊ぶより行動範囲も広くなるし、八重ちゃんと過ごすのは物凄く刺激的で。
『最近のいっちゃん、すっごい楽しそうだよね』
『え……そ、そうかな?』
そう言えば、最近菜々子と全然遊んで無かった。
家庭教師が付いたって話はしたけど、これじゃあまりにも菜々子に失礼だ。
慌てて、菜々子に八重ちゃんのことを話した。
『へぇ、そうなんだ。じゃあさ、今度遊びに行くとき私も混ぜてよ!』
『勿論!きっと、八重ちゃんも喜ぶよ』
私の大好きな友人同士、仲良くしてくれたら嬉しい。
そう思って…とある休日をその日に当てて、菜々子と八重ちゃんと一緒に遊んだんだけど。
次に会ったとき、八重ちゃんは何故だか不機嫌だった。
『ねぇ、慈美ちゃん。菜々子ちゃんのこと好き?』
『え?』
八重ちゃんの言葉の、意味が理解出来なかった。
好きじゃなければ友達にはならないし、だから私はうんと答えた。
『勿論、八重ちゃんのことも好きだよ?』
『ふーん…』
私の解答はお気に召さなかったようで、八重ちゃんの機嫌も直らない。
けど…いくら考えても八重ちゃんの不機嫌な理由も、それを直す方法も浮かばなかった。
『慈美ちゃん』
それは、八重ちゃんの今までに見たことが無い真剣な表情だった。
私の手を取って、じっと見つめられる。
『私、慈美ちゃんが大好きよ。菜々子ちゃんに取られたくないの』
『取る、なんて……私にとっては菜々子も八重ちゃんも大切な友達だよ?』
『違うの。私は、慈美ちゃんと友達以上…お付き合いする関係になりたいの』
『え?』
これが所謂、同性愛ってやつなのかしら?
驚きはあったけど嫌悪感は無くて、だからって八重ちゃんの気持ちに応えられる訳じゃない。
『駄目、だよね。うん、分かってた。普通じゃないもの……私の気持ちは』
そう言う八重ちゃんは、今にも泣きそうで。
けど、私の慰めは八重ちゃんの傷を抉るだけ。
『ごめんね。割り切らないといけないって言うのは分かってるんだけど、暫く家庭教師はお休みさせてもらうね……慈美ちゃんのお母さんには、適当に言って置くから』
だから…今此処は何も言わずに、八重ちゃんを見送るしか無い。
そう思って私は、黙って八重ちゃんの背中を見送った。
『どうしたの?いっちゃん。最近元気無いよ…』
『何でも無い、大丈夫だから』
菜々子の心配さえも、そのときの私には煩わしかった。
いつまでも、八重ちゃんの悲しそうな顔が消えなくて。
勉強だって、手に付かなくなった。
おかげで私の成績はどんどん下がって行って…けど八重ちゃんは卒業前だから、忙しいと言う理由を付けて家庭教師には来ない。
本当は違うのに、そう思いながら。
新しい家庭教師の元で、物足りなさを感じながら取り敢えず勉強をしてた。
『宮川さん、またここ間違ってるわ』
私が…八重ちゃんに教わっていたときも、散々躓いた方程式。
それを見兼ねた八重ちゃんが、手書きで作ってくれた問題集。
一生懸命やり切って、克服した筈だったのに…。
『先生、ごめんなさい。やっぱり私は……前の家庭教師さんで無いと駄目みたいです』
ぺこり、と頭を下げて。
私は……家を飛び出した。
離れてみて、初めて気付いたんだよ。八重ちゃん。
私は、八重ちゃんが大切だよ。
菜々子よりも。
ごめんね、菜々子。
菜々子にもきっと、直ぐに分かるよ。
友達よりも、愛しくて大事だって思う気持ち。
‐‐――
「ホント……あのときはびっくりしたよ。いきなり慈美ちゃんが家に来て、『お付き合いしましょう!!』って言うんだもの」
「だ、だって八重ちゃん…傷付いただろうし、早く伝えなきゃって思って」
「もう可愛いなぁ、慈美ちゃんたら♪」
私の頭を撫でる八重ちゃんの手が、まるで子どもを扱うようだから。
悔しくなって、八重ちゃんに向かって手を伸ばして顔を近付ける。
軽く重ねただけのキスは、八重ちゃんと私の頬を真っ赤に染めるには充分だった。
「きゃー今日の慈美ちゃん、大胆!!」
「私だって、もうそこまで子どもじゃ無いんだからね!」
こうして…社会人になった八重ちゃんと私は、何だかんだ上手くやっている。
相変わらずおっちょこちょいながら、立派に大人をやってる八重ちゃんに…たまに不安になるけれど。
それでも、私も八重ちゃんもお互いを愛してるから。
一緒に居られて、本当に幸せなんだ。
「そう言えば、今度東條さんがWデートしようって言ってたよ」
「東條さん!噂の、菜々子ちゃんのハニーね!りょーかい!!」
そう言って、何やら気合いを入れ始めた八重ちゃんに……笑みが零れた。
ねぇ、貴女は今。
何を思っていますか?
私と同じ気持ちですか?
私と共に居て幸せですか?
この先、同性同士と言うことで……辛いことも他より多いかもしれません。
けど、私はもう…貴女と離れるなんて選択は出来ませんから。
宜しくお願いします。
END..