『無明の果て』
日本に帰って来て、全て一から 全てがこの手から作り出される会社設立の準備は、ゆっくり構えている時間など何も無く、その忙しさは大阪にいる一行も同じで、いつまでも新人だからと許してもらえる社会の甘えなどない日々に、日本に戻って一週間が過ぎたけれど、まだ父と息子は会う事が出来ずにいる。



時間を見つけて父は、愛しい我が子に


「け~ん」


と、電話の向こうから呼び掛け、絢はキョトンとした瞳で一行の居場所を探しながら、聞き覚えのある声に身体を揺らして喜んでいる。



週末には三人一緒に、ゆっくりしようと約束をし、私は私の礎をくれた懐かしい会社へ出向く日を決め、その旨を会社とそして専務に、アメリカへ行けと勧めてくれた感謝すべき恩人となった小池専務に連絡を取った。




岩沢との尊い二年を私に授けてくれたのは、穏やかだけれど鉄のような固い意思を持つ小池の、形のない応援だったように思える。


それが小池の造り出した意思でないとしても、そういう力を秘めた人生を、彼は引き寄せながら進むのだと私は信じている。



そして私が、あのまま会社に残っていたとしたら、小池のその深い人生に気付く事もなく、不思議な巡り逢わせを経験する事もなく、絢を、一行を抱きしめる事もなかったかもしれないと思うのだ。



会社を辞めようと決心をした時、それを独り身でいる事の理由づけにして、結婚とか年齢とか、ひとり取り残されたような場所から逃げるように思われないかと、そんな考えがなかったなんて、けっして言おうとは思わない。



だけど、歳の離れた一行に、愛されていると云うことだけで、あの時の私は十分だったはずなのだ。



一行の大きな手で、一行の大きな未来をつかむ時を、静かに見ていたいと思っていたはずだから。

もし人生に、その時時で勝ち負けがあるとしたなら、敗者にしか分からない事だってあるんだと云うことを、負けない時こそ忘れてはならないと、岩沢は教えてくれた。




何かを犠牲にして、何かを切り捨てて、それでも進み続けるには、命がけの覚悟が必要なんだと。



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